花火

八月 第三週

「拓巳です。奏とは幼なじみって感じです。今日はよろしく」
無愛想なわけではなく、加奈の発言の隙間を縫って拓巳は挨拶を済ませた。さすがの千絵も加奈の勢いには敵わないようだ。加奈が千絵の容姿のことや奏との馴れ初めなどをひとしきり喋り倒したあと、四人は出店が並ぶ通りへと歩き出した。
「ねぇ、ねぇ、あぁやってすんなり手繋いでるのって凄くない?拓巳さんも男らしいし、加奈さんも凄く女の子って感じがして凄い似合ってる」
半歩後ろから肩を叩かれ、奏が振り返ると、千絵はそう耳打ちをしてきた。出店で賑わう通りは人がやっとすれ違えるほどの密集具合で、拓巳と加奈は通りに入るや否やはぐれないように手を繋いでいた。奏は拓巳の無骨な手が加奈の華奢で細い手を包み込む景色を不思議とミスマッチだとは思わなかった。
「あいつさ、甲子園で大勢の人前で泣いたり今みたいに幼なじみがいる前で彼女と手繋いでみたり、恥ずかしさみたいなもんがあんまりないんだよ」
すると、奏は自分のTシャツの袖が引っ張られる感覚に襲われた。袖の端には花火が咲く撫子色のネイルが見えた。
「私は、カッコいいと思うけどな」
背が低く、奏を下から見つめる千絵の表情は今までに見たことがないもので、思わず息を呑んだ。その刹那、人混みの中で反対方向から歩いてくる人と肩がぶつかり、はっとして進行方向に向き直った奏の左袖には微かにつっぱる感覚が残ったままだった。拓巳達の後に続くようにふたりは歩みを進めた。奏が時々振り返ると、そこには俯いたまま、頬を赤らめる千絵が居た。二人は前後で並んでいるため、二メートルほど先を行く、横並びで手を繋いでいる拓巳たちのように会話をしづらい。名前の無い感情と共に時間だけが過ぎていった。
「金魚すくい、やるか?」
暫くして、拓巳は大声を出して後ろを振り返った。左腕に感じていた緊張がパッと解けた。
「お前は毎年毎年すくっては、持って帰って、気付けば金魚飼う天才だからな」
人混みに負けじと声を張る。
「え!やりたい!やりたい!」
千絵の表情からも声色からも先ほどの熱は消えていた。加奈は拓巳の横で微笑んでいたが、奏はなぜか加奈の瞳の奥から何か冷たいものを感じていた。家庭用プールよりも少し大きめのゴム製の水槽の前に四人はしゃがみ、それぞれポイを受け取った。
「奏さんは、金魚すくい上手いの?」
長い睫毛が屋台の照明にあたり瞳に影が伸びている。そのせいで上手く千絵の表情を読み取れない。
「んー。まぁボチボチかな。拓巳には負けるよ」
ポイを水につける前にくるくると二回まわしたが、拓巳は既に大きな黒の出目金をゲットしていた。
「え!すごい!なんでそんな簡単にすくえるの?」
いつもより、ワントーン明るい加奈の声が響く。
「こうやって角に追い込んで、そして上手く腹から乗せる!ほら!」
拓巳は加奈に手本を解説付きで見せつけるように、二匹目の出目金を自分の椀の中に泳がせていた。
「拓巳さんって毎年あぁなの?ちょっと意外」
「人は見かけによらねぇんだよ」
「奏さんもやって見せてよ」
「じゃあ、琉金でもいっちょ取ってみるか」
その意味をまるで理解しているかのように、ヒラリと身を翻した鮮やかな赤に雪のような白い斑が入った琉金を指さし、奏のポイが水の中に入った。ポイが水の抵抗を受け、突っ張る。先ほど奏が感じた浴衣の袖の突っ張った感覚に似ていた。狙いを定めた琉金は、奏のポイの動きを嘲笑うかのようにヒラヒラと水の中を舞っては、他の金魚の群れの中に消えていった。ちらりと千絵の方を見ると、千絵も夢中になって水槽の琉金を目で追っている。さっきまで艶やかな表情を見せていた女性と同一人物とは思えないほど、幼く純粋無垢な少女の目をしていた。奏がポイから目を離したその一瞬、件の琉金がポイに向かって突進してきた。ずしりとした手応えがポイを通して伝わる。奏は反射的に右手の手首を返した。日が暮れ始め、白熱球に照らされた水面がざわつく。ポイが水面から出た瞬間、琉金は大きく跳ねたが、奏は左手の椀を咄嗟に差し出し、見事に琉金を仕留めて見せた。ポイは破れていた。
「兄ちゃん、今のは微妙だったけど、可愛い彼女に良いとこ見せなきゃだろうから、オマケしといてやるよ」
「可愛い彼女だって、やったね、奏さん」
「自分で言うやつあるかよ。でもまぁ、久しぶりにやると面白いもんだな」
二人は顔を見合わせ、笑った。
「それより、連れの兄ちゃんに、ほどほどにしてやってくんねぇかって言ってくれよ。こちとら商売あがったりだ。」
金魚掬い屋のおじさんは金歯が光る顔でニヤリと笑うと、顎で拓巳の方をクイと見やった。
「うわ、まただよ。あのバカ止めるぞ、何お椀二つ分もすくってんだよ」
奏は琉金が入ったお椀を千絵に渡すと、軽い人だかりが出来ている拓巳の元へと向かった。いつの間にか小学生の間でヒーローと化している拓巳はどうやら店の新記録に挑戦しているようだった。
「ねぇ、さすがにもうよくない?」
先ほどとは打って変わって、若干加奈は目の前で繰り広げられた金魚すくいショーにウンザリしているようだった。
「あと二匹なんだぞ?狙うしかないだろ」
いつの間にか拓巳はタオルを頭に巻き、腕まくりまでしている。
「そんなに取ってどうすんだよ。お前ん家の水槽でもこんだけ入んねぇだろ」
「バカ言え、ちびっ子達に配るんだよ。な!お前ら」
ヒーローの呼びかけに、子供達の目が輝く。
「いけ!」
子供達の中の一人がそう言うと、拓巳のポイは角に追い込んだ三匹の和金をいとも簡単につかまえ、あっさりと記録は更新された。まるで花火が上がったかのように、テント周辺が湧く。少年達にもみくちゃにされる拓巳以外の三人は肩をすくめていた。
 子ども達による大きな出目金の争奪戦が行われているテントを後にした四人は、拓巳の新記録樹立の記念品である夏祭りの商品券を使い、大量に飲み物と食べ物を買い占めた後、花火が一番よく見える市民緑地へと向かった。
「結局一匹も持って帰らないのね」
加奈は少し残念そうに、千絵の左手首に下げられた斑入りの琉金を眺めながら拓巳を非難した。
「ウチの金魚の方が大きいし、金魚って新入りを虐めるんだ。逆に今日すくった奴らの方が可哀想な思いをするんだよ」
「じゃあ、奏君みたいに私にくれれば良かったじゃない」
「いや、加奈がまともに生き物を育てられると思えなくてな」
「俺も拓巳に一票」
そう言うと奏は思わず吹き出してしまった。
「ねぇ千絵ちゃん、こいつら失礼だと思わない?」
「実は、私も拓巳さんに一票」
拓巳と奏はゲラゲラと笑っている。
「でも私も自信ないなぁ」
水槽よりも少し窮屈そうに泳ぐ金魚を眺め千絵はため息をついた。
「奏に教えてもらえば良いんだよ。こいつも金魚飼ってるから」
「そりゃ毎年お前が持って帰れない分を押しつけられれば金魚飼うのも上手くなるわな」
「なんか今日思ったけど、もはや拓巳って金魚すくいしに夏祭り来てる感すらあるよね」
金魚すくいにはしゃいでいた加奈の姿はもうそこにはない。
「バレたか。野球してる間はなかなか来れなかったからな。これでも二年ぶりだぞ」
「なんでそこで威張るのかね」
加奈はもはや呆れているようだった。
「でも拓巳のおかげでたくさん屋台の食べ物も買えたし、早速皆でわけて食べようぜ」
「そうね、金魚すくいにも良いとこあるもんね」
「なんかさっきから加奈に酷い言われようじゃね?」
奏と千絵は顔を見合わせて笑った。                          お好み焼きや焼きそば、イカ焼きにチョコバナナ、人形焼き、クレープなど大量に買い込んだ食料を加奈や千絵は余るのではないか?と危惧していたが、拓巳が食べ始めると、それは杞憂に終わった。
「しかし、ホントにあんた良く食べるわね」
二つ目のお好み焼きを頬張る拓巳を横目に加奈が呟く。
「だってもうあんた引退してるんでしょ?そんなに食べて、太らないの?」
「まぁ、今も練習してるし、体型は変わんねぇな」
喋れない拓巳の代わりに奏が答える。
「そういえば、奏君は野球辞めて太らなかったの?」
「うーん。もともとあんまり食う方ではなかったからなぁ」
「え?マジで言ってる?結構奏さんって食べるんだなーって思って今日見てたんだけど」
この日初めて千絵の顔が引きつる。
「千絵ちゃん、このぐらいでビックリしてちゃダメよ。男子高校生って思ってる以上にガキだ
し、野蛮なんだから」
「なぁ拓巳、俺ら何か悪いことしたかなぁ」
拓巳はまだお好み焼きを頬張りながら、肩をすくめている。
「でもなんか、拓巳さんと加奈さんってホントに仲が良いんですね。掛け合いとか見てると夫
婦漫才みたいで、なんかいいなって思っちゃいました」
「でも、奏君とはそんな感じでしょ?」
加奈は悪戯っぽく笑っている。
「あんまからかうなよ」
拓巳は苦笑いしながら、加奈をたしなめ、千絵には「ごめんな」と謝った。
「でも、今日は呼んでくれて本当にありがとうございました」
「どうしたの?急に改まっっちゃって」
加奈は不思議そうに千絵の顔をのぞき込む。
「いや、何て言うか、専門は年齢的に年上が多くって、遊んだりはするけど、何かこうやって
ワイワイお祭りに行ったりとかではないので」
「あら、今日ワイワイするの嫌だった?」
奏は、急に加奈がお姉さんであるように感じた。
「いえ!全然そんなことないです!むしろ、今日来てホントに良かったなって。実は、地元の
中学でも高校に行ってないの私ぐらいで、中学の子達ともなかなか会ってなかったりするの
で、久しぶりのこの感じがすごい懐かしくて」
「じゃあ今度からは気を遣わなくて良いんじゃない?もう大丈夫でしょ?」
加奈は千絵に優しく微笑みかけた。
「はい。私、加奈さんの事大好きです」
「あら、なんかいきなりめちゃめちゃ可愛い妹が出来た気分ね。悪くないよこの気持ち」
加奈は照れているのか、拓巳の背中をばしんと叩いた。
「やめとけ、加奈ちゃんは拓巳のだからな」
奏は軽口を叩いたが、キッと千絵に睨まれてしまった。
「もう、そんなんじゃないでしょ。でも、今日改めて感じたな。」
「ん?どうした?」
奏は千絵の声のトーンが一段階落ち着いたのが気になった。
「私ってまだ奏さんと仲良くなる前に、良く学校のこと聞いてたでしょ?あれって単純に学校
に興味があったんだなぁって。自分から手放したものではあるんだけど、もっと大切にしとけ
ば良かったなって」
「でも、それは手放したから、気付けたことでもあるんじゃないか」
お好み焼きの入っていた発泡スチロールの容器をビニール袋にまとめながら拓巳が続ける。
「俺もそうだよ。今も野球部の練習に参加はしてるけど、やっぱり引退した同学年のやつが居
なくなって感じる大切さって絶対あると思うんだよ。今まで当たり前だったことが、いきなり
そうでなくなると、やっぱり喪失感だったり懐かしむ思いだったり絶対あるからさ。やっぱ
りその状況にならないと気付けないって事、あると思う」
「せっかくカッコイイこと言ってるけど、ソース付いてる。あんまり慣れないこと、するもん
じゃないよ?」
加奈はハンカチを差し出しながら次の拓巳の言葉を引き出そうとしているようだった。
「だから、今の千絵ちゃんの気持ちは後悔じゃなくて、気付きなんだよ。全然マイナスなこと
じゃないと思うぜ」
「はい、ありがとうございます」
微かに、千絵の声は震えているようだった。
「そうだ!まだ千絵ちゃんの連絡先聞いてなかった!良かったら交換しようよ!この手のムサ
い男の扱いなら慣れてるからさ」
「加奈さん・・・」
千絵は上目遣いで加奈を見つめ、自分のスマホを巾着の中から取りだした。
「ほら!そういう顔は、大好きな男の子のために取っておくんだよ!」
奏は自分の耳が熱くなるのを感じた。と同時に、千絵を挟んで二人が座っていることをありが
たいと感じた。
「どこに所属してるとか、何をしてるとか、俺あんまり関係ない気がするな。何て言うか、そ
いつがどうか、みたいな。伝えるの、難しいな」
拓巳は腕組みをして最適な言葉を探っているようだった。
「いや、でも拓巳さんの言いたいこと、わかるような気がします」
「いい男でしょ?ウチの彼氏」
「はい。とっても」
「でも、あげないんだー」
拓巳は苦笑いを浮かべている。
次の瞬間、ヒューっと甲高い音が夜空に響き、一瞬の間が空いた後、闇夜に金色の大きな花
が咲いた。
「ホントは拓巳達が夏も甲子園に出てたら、あと五千発余計に上がってたらしいぜ」
「うるせー。今それ言わなくても良いだろ?」
奏は千絵に耳打ちするように、言ったつもりだったが、拓巳には聞こえていたらしい。
「あそこで、拓巳にスクイズのサイン、出てなかったらどうなってたんだろうねー」
花火を見上げながら、加奈はぽつりと呟く。
「んー。ショートゴロだろうな」
奏は悪戯っぽい笑みを浮かべながら答えた。
「私は、こんなカッコイイ拓巳さんなら、ホームランかな?」
「お、さすが千絵ちゃん!わかってるね!」
「お前って高校になってから、ホームラン打ったことあったっけ?」
「馬鹿かお前、センバツの二回戦でもしっかり打っとるわ!」
「まぁ、でも確かに光も俺もビックリだったもんなぁ」
奏は光の名前をこのタイミングで無意識に出したことを後悔したが、三人は特に気にしていな
かったようだ。
「まぁ奏君と光ちゃんがそうなら、きっと敵チームはもっとビックリしたよね」
加奈はうんうんと頷いている。
「実際、どうだったんですか?」
「千絵ちゃんぶっこんでくるね」
拓巳は少し焦りながらも、千絵のストレートな質問に心が動かされたのか、語り始めた。
「正直、何で?とは思ったよ。タイミングも合ってきてたし。でも、ウチは裏の攻撃だし、次の回をしっかり抑えれば、勝ちだったからな。監督さんの考えは間違ってないよ」
「打てる気はしてたのか?」
奏の質問に、少し考えた後、ため息よりは浅い息を一つ吐き、拓巳は静かに口を開いた。