チョイス

九月 第二週

「何でそうなるんだよ」
「だって、奏はバイトとかしてるし…」
「安心しろ。金の話じゃねぇよ」
光は相変わらず心配そうに見つめてくるが、これはこれで、少し気分が落ち着くきっかけになった。焦ってもしょうがない。自分ではどうにもできないことがある時は、待つしかないのだ。そしてその時にはあれやこれやと邪推しても何もいい事は訪れない。この前の夏祭りで、拓巳と学校が違うことや、千絵から見て拓巳が恐らくモテる男の子だということに対して不安はないのか、と質問していた時に『拓巳君はカッコイイ男の子だからきっと大丈夫だよ。心配しても良いことないって』と加奈が笑いながら言っていた事を思い出した。
「ありがとうな。なんか気分が軽くなったわ」
途端に光は怪訝そうな顔をしている。
「え、何?気持ち悪い。よくわかんないけど、お金の話じゃないんならよかったわ」
 午後の授業が始まってしばらくして、奏の右ポケットがブルッと震えた。『お疲れ!福田っちに言って、ギター借りててくれない?』真田からだった。『なんでだよ笑 直接借りれば良いだろ』あまりにも真田らしい内容に思わずニヤケそうになるのを我慢しながら返事を返した。『いやーあんまり先生達に会いたくねぇんだよなー。出来れば東棟から入って半屋上行きたいから、福田っちに会えるかもわからないし…な!頼むよ!』メッセージを読むなり、ふぅとため息をついて奏は放課後に職員室に行く意思を固めた。なんせ、真田にとって最後の学校にいる時間になるかもしれないのだ。出来るだけ思い通りに過ごさせてやりたい。
 放課後、職員室に行くと、福田と高橋が何やら話をしていた。奏の「失礼します」の声に、高橋が振り向いた。
「時任、珍しいじゃないか、どうした?」
「あ、いえ、福田先生にお話があって」
「君が?」
福田は不思議そうな顔をして、一歩、二歩と奏の方に近づいてきた。
「どうしたんだ?」
「いや、実はあんまりここでは言いにくいんですけど…」
奏はチラリと職員室の外の方に目配せをした。
「そういうことか、わかった。会議前なんだ。手短にな」
奏は福田のこういう他の先生にはない、柔軟な対応が好きだった。二人は職員室のドアの外に出た。
「すみません。急に」
「どうしたんだ?」
「実は、ギターを貸して欲しくて…」
「ギター?君はギターを弾くのか?」
福田は、奏からのあまりにも唐突な申し出に目を丸くしている。
「いや、何というか…僕じゃないですけど…貸して欲しいというか」
「どういうことなんだ?」
普段温厚な福田も流石に怪訝そうな顔をしている。正直に話すしかないか、そう思っていると、沈黙を先に破ったのは福田だった。
「真田君か…」
奏は福田の口から出た正解に思わずドキッとしてしまった。
「その反応は、正解かな?いや、なんて事ないんだ。高橋先生から、彼が今日来ることは聞いていたからね」
奏にとっては高橋が、真田が学校に来る事を知っている事、さらに福田でさえもその事を知っている事、全てが想定外だった。
「え?なんで知ってるんですか?」
「真田くんから昨日電話があったそうだ。放課後に話がある、とね」
奏はその言葉を聞いた時、全身の力が抜けていくのを感じた。奏は直感的に真田が今日、学校を辞めにきたのだと感じたのだった。少し、ほんの少しだけ、真田が学校を辞めるのを止められるかもしれない、と思っていたが、実は昨日の時点で既に結果は決まっていたのだ。
「そう…だったんですか。先生が言う通り、真田がギターを借りたいそうです」
「そうか。直接私のところに来ない、というのも彼なりの理由があるんだろう。わかったよ。準備室の奥の楽器庫に焦げ茶色のケースがあるから、それを持っていきなさい」
福田は優しい笑みを浮かべていた。
「ありがとうございます。あいつに返しに行かせるんで」
奏は少しだけ語気を強く、そう福田に告げたが、福田は笑っていた。
「いや、良いんだ。最近磨いてやってないから、弾き終わったらオイルで磨くように言っといてくれるか?それで十分だ」
福田には全てが見透かされているようだった。奏はペコリと一礼をして、振り返り音楽室へ向かった。足早に音楽室へ向かう途中、文化祭の準備で騒ついた廊下に、何故か福田の口笛だけが響いて聴こえてきた。いつ、どこで、かは思い出せなかったが、耳にしたことのある懐かしいメロディだった。
 

 奏は音楽室に着くと、教室の右奥にある準備室へと向かった。窓際のカーテンのそばの古びたケースの中に福田のギターはあった。赤いそのギターはセミアコースティックギターと言うらしく、エレキギターの割には良く響いた。福田や真田は古びてお世辞にも見た目は綺麗だとは言えないこのギターのことを「名器」と呼んでいたが、奏にはこのギターが「名機」たる所以がわからなかった。しかし、確かにこのギターには何か引き込まれる魅力があった。ずっと眺めていても飽きないし、その音色は不思議と人の感情の起伏を写し出す鏡のようにも思えた。奏はギターを丁寧にゆっくりとケースから取り出し、半屋上へと向かった。
「おー!時任っち!お久しぶり!」
半屋上には先に真田が到着していた。
「久しぶりだな。少し痩せたか?」
奏は真田にギターを手渡すと、真田は右手に持っていたジュースを物々交換のように手渡して来た。
「んー。どうだろう?バイト忙しかったからかなぁー?わ!やっぱ福田っちの335はサイコーだなぁ」
真田はギターを手にするや否や、小学生の目をして舐め回すように隅々まで眺めていた。
「バイト?いきなりどうしたんだ?」
奏は真田から受け取った炭酸飲料の缶のプルタブを起こし、軽く真田に会釈をして、一口口に含んだ。炭酸が喉で弾ける感覚が何故か懐かしい。
「いやー。ガッコやめるんだったら、働けっておかんがうるさくてさ。夏休みから現場出てバリバリの肉体労働だよ」
「現場?」
奏は聴き慣れない単語に違和感を覚えた。
「そ!現場!朝から照明吊ったり、本番終わったら舞台バラしたり、いろいろね!」
「まてまて、なんのこと言ってんだ?」
「んー。普通の人はなんて言うんだろうな?コンサートスタッフ?ライブスタッフ?」
「そんなデカい仕事してるのか?」
奏は思わず驚いた。どちらかと言えば、どことなくダラシなく、責任感もある方には見えなかった真田の口から出た意外な職業についてもっと知りたくなった。
「いや、そんなデカくはないよ。市民ホールとかにたまにライブしに来るアーティストのお手伝いって感じかな?」
「十分だろ!ってことはこの前のORANGE BLUEのライブの時とかもスタッフとして、会場にいたってことだろ?」
奏は、ロックバンドORANGE BLUEの大ファンで、夏休みに浅葱市民ホールで行われたメジャーファーストアルバムのリリースツアーに行きたがっていたが、チケットが取れずに観れなかったのだ。
「あ!居たよー。やっぱすげぇカッコよかった」
真田は半屋上の階段部分に腰掛けると、おもむろにギターを弾き始めていた。
「ずるいぞ!どうやってそんなとこで働けるんだ!」
「まぁまぁ、落ち着けって。俺もライブハウスの店長さんに、紹介してもらったんだよ。それに少しは専門的な知識ないと、働けない場所だよ?」
真田はギターを弾く手を止めて、奏の方をちゃんと見てそう言った。
「そっか。お前も頑張ってんだな」
奏は真田がどこか大人びて見えた。
「そうだよー。でも時任っちは一年の頃からバイトしてたじゃん?すげーなって思ったよ。お金稼ぐのって大変だね。」
「そうか?俺はコンビニだからそうとは思わないけど…」
「いや、俺ライブするのは好きだけど、裏方はほんと向いてないって、改めて思ったもん。」
「それは、音楽だからだろう。本当にやりたいことやって、金稼いでるやつは違うんじゃねぇか?」
奏はジュースの裏に書いてある成分表示を読みながら、そう返答したが、ギターの音色がふと止まったため、顔を上げた。真田が大真面目な顔をしてこちらを見ている。
「時任っち。それがどうも違うっぽいんだ」
「いきなりどうしたんだよ?」
「いやね、俺もまさかこのタイミングでガッコ辞めることになるとは思ってなかったんだ」
ついに、真田が本題について話し始める。奏は、しばらく真田の話に耳を傾けることにした。
「この夏休みさ、結構ライブしたんだ。ウチって二個上とか三個上のメンバーがいるから、県外とかに出て初めてのライブハウス行ってみたりとかさ、いろいろ経験してみたわけよ」
真田は補習も出ていなかったため、約二ヶ月の夏休みがあった。
「そしたらさ、ある会社が俺らのことすげー気に入ってくれてさ、CD出しませんか?つって。最初めちゃくちゃ胡散臭かったんだけど、どうやらすごい人っぽくてさ、ライブ会場にそのおじさんが毎回あらわれて、口説いてくるわけよ」
まるでドラマや映画の世界だ。しかし、真田は音楽のことについてはハッキリとした性格の持ち主だ。奏には真田が嘘をついているとは思えなかった。
「それで?」
奏は早く話の続きが聞きたかった。
「それでさ、八月の初めかな?とりあえず、東京のスタジオで持ち曲を録ってみようって話になってさ、意気揚々と東京まで行ってさ、プリプロってやつをやってみたんだ」
奏はプリプロなる言葉を初めて聞いたが、それどころではない。早く続きを聞くために、頭に浮かんだ疑問をすぐさま捨て去った。
「あ、ちなみにプリプロってのは、レコーディングの練習、みたいなやつね」
助かった。真田がいい奴で助かった。
「そしたらさ、笑っちゃうぐらい、俺ってギター、下手なんだなって」
そう、ポツリと呟くと真田は俯いてしまった。奏は、次の言葉を促すのではなく、自然と出てくるのを待つことにした。
「そこで気付いたんだよ。ただ、好きな事で生きてくってのは簡単じゃないんだって。むしろ、しんどい事なんだって。そっからだよ。毎日毎日家帰ってギター弾いてさ。あんなに楽しかったギターが全然楽しくなくなってさ。それでも弾かなくちゃいけなくて、何でギター弾いてんだろって思ったり、いっその事もう辞めてやろうって思ったりしてさ。でも、辞められなかった。やっぱり俺、ギター好きだった。もっと上手くなりたかった。メンバーの期待に、おっさんの期待に、何より応援してくれる人の期待に、応えたくなった。そしたら時間、いくらあっても足りねぇんだ。ガッコ行ってる暇なんて、ないんだなって思ったんだ」
奏は呆気にとられてしまった。真田はこの二ヶ月、自分と向き合い、そして限界とも向き合い、自分の生きていく道を自らの手で切り拓いていった。それを目の前で同い年の、自分とほぼ同じ境遇だと思っていた少年がやり遂げて見せたのだ。奏は本心から、真田にはもう学校というものは必要ないものだと思った。この男にはやるべき事がある。いや、果たすべき事がある。そう感じた。
「そっか。お前、カッコいいな」
奏はともすれば、自分の人生を生きるというジャンルにおいては真田に「負けた」という感覚さえ抱いていた。
「だしょ?俺っちカッコいいのよ。ギターヒーローだもん」
夕陽にあたり、真田のピアスがキラリと光る。しかし、少年のあどけなさが残る真田の笑顔はそれよりも輝いて見えた。
「でも、お前が居なくなると寂しくなっちまうなぁ。インディーズのカッコいいバンド、誰が教えてくれるんだよ」
奏は心から、真田が居なくなるのが惜しかった。
「ははっ!何だ、そんなことかよ。時任っちならいつでも連絡してくれれば大丈夫だよ。それより仲良くしてくれて、ありがとうね。俺、半屋上で時任っちと、あとたまに福田っちも居たけど、ギター弾きながらあーでもないこーでもないって話すの好きだったなぁ。ガッコで唯一、二人だけは俺を変な色眼鏡で見なかったからな」
気付くと、福田も半屋上に上がってきていた。どうやら真田は途中から気付いていたようだ。
「何だ、結局辞めちまうのか。たまには、その335、弾きに遊びに来てくれよ。そいつも寂しがるぞ」
福田は実に寂しそうに真田に優しく声をかけた。
「まぁ、実際福田っちが居なかったら、一年の頃にはガッコ、辞めてたかもしれないしね。あの時、声を掛けてくれてありがとうね。でもあの頃とは違うんよ。覚悟っていうのかな?それが決まったっていうのかな?」
真田は照れ臭そうに福田に続ける。
「それにガッコのセンセなら普通ここで、『辞めるな!』とか言って止めるとこじゃないの?」
福田は苦笑いを浮かべている。