チョイス

九月 第一週

チョイス
 
 

 浅葱西の短い夏休みが終わり、いよいよ高校三年生にとっては最後のイベントである、文化祭の時期になった。それと同時に、九月は高三生にとってもう一つ大きな意味を持つ。指定校推薦の校内選考会議が行われるのだ。浅葱西校が県下有数の進学校である所以は、その合格実績にあるが、それを陰で大きく支えているのがこの指定校推薦枠だった。伝統校ならではの歴史と、今までの卒業生の勤勉さによって築かれたこの指定校推薦枠は、中学生にとっても大きな魅力のようで、浅葱西校の高校入試における人気を支える要因にもなっている。
 九月の中間テストが終わり、仮内申が出た時点で選考が始まるため、生徒達のこの二学期中間試験に対してのモチベーションは否が応でも上がる。ここで基準点を満たしていないものは、早々に大学入試に向けて勉強の強度を上げていく。もちろん、文化祭に力を入れるクラスや生徒はいるが、どちらかと言えば浅葱西は学校をあげて春の体育祭の方に力を入れていると言っても過言でなかった。それでも、県下有数の文化祭、と言われるほどのクオリティに仕上げてくるあたり、流石、浅葱西とでも言うべきだろうか。
「そういえば、真田は?最近全然姿見ねぇけど」
『一番手が空いていそう』という理由で文化祭の実行委員に選出されていた奏は、同じく実行委員である光に問いかけた。光が実行委員であるのは、女子バスケ部キャプテンという、言わば『まとめ役キャラ』という属性と自身の文化祭熱のためだった。
「そういえば、新学期始まって、見てないかも。忙しくて全然気にかけてなかった」
ノートパソコンに向かって稟議書を作成していた光は、ふと手を止めて記憶を辿っている。
「あいつのバンド、今年の文化祭に出たいとかって言ってなかったっけ?」
「あぁー。そう言えばそうかも」
光は前髪を右手でかき上げ、ひと束にまとめ、頭の上にちょんまげを作るような仕草をした。何か困ったことがあったときに、良くやる癖だった。
「今日中に、有志の出し物とかステージ系のって取りまとめじゃなかったか?」
「うっわ。そうだ。ウチのクラス、誰かそっち系のやつって居たっけ?」
「サッカー部の連中が漫才するとか言ってなかったか?」
「あーアレね。高橋先生がネタ見せろって言って、本人達にやらせたら、これがビックリするほど面白くなくてさ。あえなく校内選考の前に却下されたんだよね」
「は?高橋が、お笑い?」
「そうだよ?有名な話じゃん。毎年高橋先生のクラスから最優秀お笑いコンビでてるの知らない?」
「初耳だよ。そしてどんなギャップだよ」
奏は思わず苦笑いしてしまった。
「それはそうと、そしたら確認が必要なのは真田君だけかな?」
「んー。そうなるんじゃないか?」
「困ったなぁ。私、真田君の連絡先知らないんだよね。奏、仲良かったよね?」
「仲良いねぇ・・・別に一緒に遊び行ったりとかはないけど、普通に連絡先は知ってる」
「聞いてみてくれないかな?」
「おっけー。ちょっと待ってて」
奏は右ポケットからスマホを取り出し、液晶の上に右手の親指を滑らせた。『お疲れ!一個聞きたいことあるんだけど、今大丈夫?』『お疲れー!どしたー?』学校を新学期から休んでいるというのに、そのことには何も触れず、いつも通りの真田からの返事はいつも通り早かった。
「返事来た。今から聞いてみる」
光は返事をする代わりに、右手でOKマークを作った。
『真田が組んでるバンドあるじゃん?今年の文化祭出るって言ってたと思うんだけど、応募の締め切り今日までなんだよね!西高生以外の人も居ると思うから、応募するんだったら期日守んないと絶対アウトなんだけど、どう?』既読が付くのはかなり早かったが、なかなか返事が来ない。
「まだ?他にもやんなきゃいけないことあるんだけど」
ノートパソコンのキーボードをぱちぱちと叩きながら、光が急かす。
「うん。既読は付いたんだけど」
奏は、この時妙な胸騒ぎがした。虫の知らせと言うべきか、急に気温が下がり分厚い雲が空一面を覆うような、不安をかき立てるような違和感に包まれたのだった。そこから数分後だった。『覚えてくれてたんだ!実はそのことでっていうか、時任っちに話さなきゃいけないこと、あんだよね』『どした?』奏は、その違和感を払拭したいがため、すぐに返事を出した—。

『俺、学校辞めようと思うんだ』

奏は、一瞬真田が何を言っているかがわからなかった。何故文化祭の有志のバンドの話をし
ていた人間が、いきなり学校を辞めると言い出したのか。さらに、あと半年で卒業だというこのタイミングで、何故辞めるのか。まるで電子機器がフリーズをしてしまったかのように、思考が停止し、全くわからなかった。しかし、数秒の間の後、まるで温かいコーヒーに入れたクリームのようにゆっくりとその事実が頭の中に、じわりと広がっていった。
「真田、たぶん大丈夫だ。ウチからは有志ゼロで出しといて」
奏は光にそう告げると、東棟と西棟とを繋ぐ半屋上へと向かった。東棟の四階には音楽室があり、音楽教師の福田と仲が良かった真田は、福田のギターを借りてよく奏ととりとめのない話
をしながら半屋上でギターを弾いていた。奏は正直、音楽のことはよくわからなかったが、真田が弾くギターと、そのギターに合わせて吹かれる口笛を心地よく感じていた。なんとなく、今は一人でこの場所に居たかった。
『そっか。どうしたんだ?』そう、真田に送ると奏は、運動場の方を眺めた。サッカー部がゲーム形式の練習の中でフォーメーションの確認をしている。もうすぐ蒸し暑い季節から橙がよく似合う季節へと変わる。今日の空はそんなことを告げようとするかのような、鮮やかな夕焼けだった。『別に、マイナスなことじゃないって!笑 この夏休み中に、いい話が決まって、音楽で食っていこうと思ってさ!高校行くよりバイトして、曲作って、ライブしたいのよ!』真田の返事は何故かこの空と同じような感じがして、羨ましいな、と思った。暑くまとわりついてくるような夏に後ろ髪を引かれることもなく、自分が一番似合う季節へと駆け足で向かっていく様は、危うさと儚さが見え隠れするものの強烈な魅力を放っていた。『そっか。がんばれよ』そうメッセージを送ろうとしたが、次の瞬間には文章ごと削除していた。今の自分には、この気持ちを表す最適な言葉が見つからない。小さな服を無理矢理着せたような言葉じゃ、きっと伝わらないだろうし、そもそも何を伝えたいかも、ハッキリ定まっていない。ただ、真田と一度会って話がしてみたいと感じた。同じ高校三年生、いや、今年十八歳になる少年、いや、一人の男が下した決断と、その理由を聞きたいのだ。『明日、夕方あいてる?』奏は、そう親指で入力すると、暑く、青春の熱気が立ちこめる教室へと戻っていった。
 職員室がある西棟から自身が受け持つクラスを眺めると、そこには様々な思惑が渦巻いていることがわかる。最後の文化祭で思い出作りに必死になる者、指定校推薦枠のために必死に中間テスト対策に勤しむ者、入試対策のために受験勉強に勤しむ者、そしてこのどれにも属さない者。高橋は、その中でも真田のことを気にかけていた。三者面談の時にも唯一進学の希望を出していなかったし、母親も良く言えば放任主義、悪く言えば責任放棄なのかその話については愛想笑いを浮かべるだけで、特に言及していなかった。新学期になっても登校していないことを家庭に連絡しても、『もう高校生なので息子に任せていますので』の一点張りで、正直、家庭の協力を得られそうにもない。クラスメイト達も、特に気にかけていないようで、元々飄々としたヤツだとは思っていたが、「さて、どうしたことか」と頭を抱えているところだった。
「ため息なんてついちゃって、どうしたんですか?らしくないですよ?」
感じの良い笑みを浮かべながら、加藤が話しかけてくる。
「いや、まさかこの時期に不登校の生徒が出るとはね・・・」
「真田君のことかしら?」
「はい、お恥ずかしい限りです」
「高橋先生でも迷ったり悩んだりすることあるのね。いつも生徒対応を見てると、自信に満ちあふれていらっしゃるから。あ、嫌味とかではないからね?」
高橋は、参ったといった具合に頭を掻いている。
「でもきっと大丈夫よ」
「と、言うと?」
「あの子のことだから、自分で色々決めて決着付いたら、猫ちゃんみたいにふらっと現れるわよ」
「はぁ、猫、ですか?」
「そうそう。高橋先生は猫お好きかしら?猫ちゃんって例え飼い猫であっても可愛がりに行ってはいけないの。撫でて欲しかったり構って欲しかったりすれば、向こうからやってくるものよ」
「でも、真田が猫、とはまたなかなかイメージにないですね…」
「でもあの子、自由じゃない?聴かせてもらったことあるけれど、ギターも上手なのよ?」
どうも加藤と話していると調子が狂う。
「しかし、もう受験生ですから、危機感というか、もっと自分を律していかないと」
「あら、受験だけが進路じゃないわよ、高橋先生。まぁ、進路担当だから仕方がない側面もあるのだけどね」
そう言うと、加藤は家庭科室へ移動してしまった。職員室の電話が鳴ったのはそこから小一時間経った時だった。女子バスケ部の顧問の橋本から内線で呼び出され、受話器をとると、その相手は真田だった。
『あ、もしもし、先生?母ちゃんに電話くれてたみたいで、すみません。学校行ってない件ですよね』
真田の声は悪びれるでもふて腐れるでもなく、至って普通だった。
「あぁ、心配してたんだぞ。どうしたんだ?」
『んー。特に何かあったわけではないんですけど、行く気が起きなくって』
少し砕けた口調で真田は言う。
「そんな理由があるか。受験生なんだぞ」
『あー。それについてもなんですけど、明日、学校行って話します。先生はいつ都合いいですか?』
「放課後、だな。職員室が嫌なら、進路指導室でもいいぞ」
『わかりました!じゃあ、明日行くんで!』
そう言うと真田からの電話が切れた。自身のクラスの問題が一つ解決したような気がして、高橋の心は少し軽くなったような気がした。デスクの上の指定校推薦用の資料に目を通すと、またズシリと心に重石が乗ったような気になる。毎年、生徒の人生を左右する立場にあると思うと、この時期は緊張の糸が張り詰める。真田の件もあり、今この資料の山と対峙する気分にはなれず、高橋は自身のクラスの様子を見に行くことにした。
 部活動の声や文化祭の準備もあり、校舎は何時もよりざわついていた。本来なら煩わしく思うこのいわば騒音も、毎年の風物詩となると、どこか懐かしい音色としてのイメージがあるからか高橋は嫌いではなかった。
「あ、先生!稟議書で聞きたいことがあったんです!お時間、大丈夫ですか?」
実行委員の三ツ村がパタパタと駆けてくる。今年の文化祭は彼女のおかげでかなり助かっている。
「あぁ、どうした?」
「ありがとうございます!この『項目』欄と『品名』欄の違いについて聞きたいんですけど…」
「わかりづらいよな。この項目欄は言わば用途だ。品名欄は商品の名前。イメージとしては、この為にこの商品が必要です、っていうのを一目でわかる為だな。」
「じゃあ、例えばこのガムテープの場合、項目としては、劇で使うのであればクラス活動費ではなく、舞台演目費ってことですね?」
「その通りだ。よろしく頼む」
「ありがとうございます!」
「そういえば、時任は?あいつも実行委員だろう?」
「奏はさっき教室から出て行っちゃいました。でもきっとサボりとかではない気がします」
「そうか。少し話がしたかったんだが。それより三ツ村、夏休みの模試の結果、良かったじゃないか」
「あ、ありがとうございます。全国行くつもりだったのが、ダメだったんで、その分勉強してやりました。でもまだまだ足りないので、文化祭終わったら本気出します!」
「指定校、希望するだろ?」
「んー。まだ迷ってます。学校も、バスケも。また相談しても良いですか?」
「そうか。まだ期間はあるんだから、ゆっくり考えるといいさ。ただ、使える制度は使っていいんだからな」
この言葉が余程意外だったのか、三ツ村は目を丸くしていた。
「え、先生って指定校とか推薦とかに否定的なんじゃないんですか?」
あまりの驚きぶりに思わず笑いがこみ上げてきてしまった。
「笑ってしまってすまない。でも、それはOB達が言ってることだろう?曲解だよ。正しく努力をしている、もしくはしてきた人間にはきちんと評価するよ。君は指定校推薦の枠に相応しい努力をしているよ」
「あ、ありがとうございます!少し考えてみます」
三ツ村に別れを告げ、職員室に戻る途中、半屋上に佇む時任の姿が目に入った。どうやら何か考え事をしているのか、複雑な表情をしている。今が話すべきタイミングではないことを悟り、高橋は職員室へ戻ったのだった。

 

 約束の『明日』になっても真田は学校に来なかった。奏は朝から何回も携帯の液晶を確認したが、真田からの新着メッセージは届かないままだった。昨日の時点では、放課後に半屋上で、としか約束していなかったため、放課後だけ学校に来るのかもしれないとも思ったが、そうすると今日を機に何故かもう二度と真田が学校に来ないような気がして、奏は朝からソワソワしていた。真田が学校を辞めるかもしれないということは、拓巳にも光にも話さなかった。奏は、もし自分が真田の立場なら、たとえ奏と拓巳や光がどれだけ仲が良かったとしても話題にして欲しくはないだろうな、と感じたし、真田が自分の立場だったとしても、そうはしないだろうと感じていた。
「なんか今日元気なくない?」
昼休みに真田からのメッセージが来ていないか、スマホを確認しようと右ポケットに手を伸ばした瞬間、不意に光が問いかけてきた。
「うん。なんか、ちょっとあってな」
奏は、こういう時の光の勘は、よく当たるため、隠しても無駄だと知っている。
「真田くんのことでしょ?」
内心かなり、ドキッとしたが、奏は平静を装うことにした。
「真田?何かあったのか?」
「昨日、有志のバンドの件で連絡した時からそわそわしてるよ。何かあったか疑うに決まってるでしょ」
正直そこまで見ているのか、と呆気にとられた。真田のことについては光には明かさないようにしようと決めていた決心が揺らぐ。
「まぁ、真田にも色々あるんだよ」
「ふーん。まぁ、別にいいけど。お金貸して、とかだったら絶対ダメだからね」
奏は、思わず吹き出してしまった。