チャンス

十月 第四週

「私は東京の公立出身でさ、チームに全然身長がなくて公式戦はサッパリだったんだよね。このセレクションダメだったらバスケも辞めるつもり。アンタは?」
「私も地方の公立出身。夏は決勝負けだった。私もこのセレクションに賭けてる」
「そうなんだ。私はガードなんだけど、アンタは?シューティングガード?」
「そうだよ。どちらかっていうとディフェンスの方が得意だけど」
「気に入った。私とペア、組もうよ」
「え?セレクションでしょ?そんなに勝手にペアとか組めるものなの?」
「アンタ、何言ってんの?セレクション受けに来てるんだよね?何落ちることなんか考えてんのよ。受かった後の話に決まってるでしょ?どこまで鈍いのよ」
ピンは笑いながらボールをパスしてきたが、そのパスは速く、そしてずしりと重かった。なるほど、この子は本物だ。その後ピンとウォーミングアップをしていると続々と受験生が集まってきた。関東を中心に今年のインターハイを賑わせてきたユニフォームの選手達がコートに集結する。世代別の日本代表の選手もいた。ピンはまるでプロの試合前の練習を見る小学生のように、あの子は〇〇高校の〇〇で、のようにセレクション会場に現れる一人一人を頼んでもいないのに説明してくれたため、光が置かれた状況を理解するのは容易だった。全国に出ていないのはピンと光と他数名だった。
 セレクションの開始時間になると、明翔大のキャプテンが船頭となり、明翔大式のウォーミングアップを受験者全員で行った。一つ一つの動きにキチンと意味があり、練られているウォーミングアップは小一時間にも及び、まだボールも扱っていないのに肩で息をしている選手も多かった。その後監督から集められた受験者達は諸注意やセレクションの意義などを伝えられた。名門チームの名監督の威厳をたっぷりと含んだ話を要約すると、「チームに貢献しない選手は選ばない。アピールの場だからと言ってチームプレーを疎かにするな。そしてその中で自分の存在証明をしろ」というものだった。実にシンプルでわかりやすいと光は感じていたが、ただ点を取ればいい、などと考えていた選手などは困惑しているようにも見えた。その後いくつかの色のビブスが配られ、セレクションの最初の種目である体力測定に移っていった。小柄な光もピンもここでは大きなハンデが予想された。予想に反さず名門出身の選手達は好記録を連発していたが、光はピンのお陰で動揺は少なかった。
「やっぱ、体おっきいって羨ましいよねー」
走力測定の後ピンは前屈をしながら独り言のように呟いた。
「ピンってめちゃくちゃ体柔らかいね」
前屈をするピンを見ているとどうしてここまでその部位が曲がるのか、というところまで体の各部が深く折れ曲がっていた。
「でも柔軟性のテストないんだよ?拍子抜けだよね」
べっと舌を出すピンは本当に幼く見えた。
「ポンはなんか焦ってそうだね」
「そりゃあ、全国区の子達ばっかりだから体力測定の結果にビビっちゃうよ」
「でもよく見てみなよ。ビブスの色。基本的に同じ色の選手が五人ずついるから、同じビブスの子がチームメイトだよ。今のうちからどんな選手か見とくといいよ」
なるほど。この子は本当にガード向きだ。視野が広くてソツがない。
「ってことは私はピンと同じチームってこと?」
「そうだね。なんとセンターは日本代表のあの子だよ?これは頂いたんじゃないかな?」
悪戯っぽく笑うピンは本当に頼もしく思えた。
「ピン、アンタ度胸すごいね」
「女とガードは愛嬌より、度胸よ」
ピンはそういうと、拳を出してきた。コツンと拳を合わせると続けてこう言ってきた。
「大丈夫。身体的なハンデは向こうも折り込み済み。ゲームで見せようよ」
光は返事の代わりに拳にぎゅっと力を入れた。
 体力測定の後、ゲーム形式の試験へと移っていったが、ピンの予想通りチームはビブスの色で分けられていた。多くの情報を共有した光とピンのコンビは試合でも目立った活躍を見せ、試合後に監督直々に声をかけてくるほどだった。
「アンタ達、一緒にやったことあるの?」
「いえ!今日が初めてです」
光の声は緊張で上ずっていた。
「お互いのプレーを映像で見たことがあるとか?」
監督は目を細めてピンに問うた。
「いえ、それもありません。さっき会ったばっかりです」
ピンは誇らしそうにそう言った。
「アンタ達、卒業したらみっちりしごいてやるから、気ぃ抜くんじゃないよ。特に走りこみ、現役時代と同じかそれ以上やっときな」
監督はそう言い残すと後姿にヒラヒラと手を振っていた。二人は顔を見合わせハイタッチをしていた。
「今のってそういうことだよね?」
ピンが興奮気味に続ける。
「もう決まったようなもんだよね?」
「たぶん…そういうことだと思うんだけど…」
「あー。よかったぁ。実は私今日めちゃめちゃ不安だったんだよね」
ピンはその場にへなへなと座り込んでしまった。光もその場にしゃがみ視線を合わせる。
「本当に?ピンは朝から自信満々だったじゃない?」
「ポンがシュート練してるの見て、ビビッと来たんだよね。マジで同じチームで良かった」
「私も今日セレクションとか抜きに楽しかった。またこういうバスケがしたいな」
「春からやろうよ!出来るんだよ!」
ピンは本当に嬉しそうに笑っていた。

 
 ピンと連絡先を交換し、本名が寺本咲だったという事も判明した後、光はそのまま奏にセレクションの結果を報告しようと親指を滑らせた。なんとなくここはお気に入りの『だるネコ』のスタンプで、様子を覗ってみようと思った。そこでだるネコが『今、何してんの?』と怠そうに壁に寄りかかりながら、尋ねているスタンプを使うことにした。
『バイト終わったとこ。セレクション、どうだった?』
意外と返事は早かった。
『たぶん、上手くいった!』
『そっか、よかったな!晴れてシティガールか?』
『浅葱市も十分都会だから、元からシティガールだし!』
『言ってろ!とりあえず、おめでと!』
『奏、ありがとうね!』
『ん?何が?』
『奏が言ってた、やってみないとわかんないってヤツ、今日わかった気がするよ』
『あぁ!それか!よかった!』
『ありがとうね!』
『良いってことよ!とうとう全員バラバラになる可能性が高くなってきたな』
液晶に浮かんだ文字を瞳が捉えた途端に、心臓のあたりがチクリと痛むのがわかる。セレクションで頭の片隅に追いやっていた問題が急に目の前に広げられたような感覚に陥り、光はそっとスマホのサイドボタンを押し込み、液晶を暗くした。それでも何故こんな気分になるのか、光には理解が出来なかった。確かに幼なじみの間で長年培ってきた居心地が良い環境を手放すことは、名残惜しいかもしれない。新幹線ですぐに帰ることが出来るとしても、生まれてこの方ずっと暮らしてきた故郷を離れるのも勇気が要ることかもしれない。ただ、明翔大でバスケが出来ることよりもそれらは大切なことか?と問われれば、即答は出来ないにしても、明翔大の方が価値が大きいと答えるはずだ。中学時代のチームメイトとも、数ヶ月や数年会わなかったとしても、街でばったり会って数分も話せばすぐにあの頃と同じ温度に戻ることが出来る。ましてや拓巳や奏であればなおのことだ。でも、何かが引っかかる。光は新幹線の車窓から見えるトンネルと夜景の繰り返される景色を眺めながら、ふとそんなことを考えていた。そう言えば、奏にさっきの返事を返していないことに気付く。
『ごめん。新幹線で寝てたわ!そうだねー。拓巳も大学に決まりそうだし、私と拓巳は東京になりそうだね。奏は?』
何故かいつもの三倍ぐらいの時間をかけて、メッセージを送った。既読はなかなかつかない。そもそも何で最初に奏に連絡をしようと思ったのか。家族には自分の口で直接伝えたかったから?それとも拓巳には『決まってから連絡しろよ』と逆に怒られそうだったから?チームメイトには学校で話せば良いと思っていたから?橋本先生は?何で奏には最初に伝えなくてはいけないと思ったのか?頭で考えれば考えるほど、余計に混乱していく自分が居た。ふと、橋本の言葉が頭をよぎった。
『光が頭で考える前に動くときは、絶対何か大きな感情が心の中にある時なんだよ。光は賢いんだから、絶対常に頭を動かしてるはず。それが出来ていないときは何かがきっとあるのよ』
胸に手を当てて考えてみる。しかし、驚くほどに何も出てこない。ふと、奏からの返信がまだ来ていないことが気になった。胸の中がざわざわするのが分かる。今まで感じたことがない感情だった。しかしセレクションで疲れた体と頭では、これ以上考えても何かが出てくるとは思えなかった光は、地元の駅に着く五分前にタイマーを合わせて、少し固いシートに身を預けることにした。車窓に反射した自分の顔の向こうには、名前も知らない街の夜景が広がっていた。おそらく浅葱市と同じくらいの大きさの街だろうか?今日の出来事がすべてフィクションのように感じられるほど、今日は沢山のことがあった。目の前に広がる夜景も、実はプロジェクションマッピングだと言われても今日なら驚きはしないだろう。そんなことを考えていた次の瞬間には、夜景は山の景色へと移り変わり、忘れ物への注意喚起と浅葱駅に着く案内がなされていた。握りしめていたスマホには、父親からの車で迎えに来ている旨の連絡と、奏からの返事が届いていた。さっきまではあんなに待ち焦がれていた奏からのメッセージはあまりにも平熱すぎて、光はさっきまでのことを疲れという言葉で片付けようとしていた。
『お疲れ!んー。まだわからん。正直共通試験の結果次第なとこは否めないよな』
『結局アンタもやってみなきゃわかんないってことね(笑)』
光はそう返事をすると、スマホをバックの中にしまい、手荷物をまとめ、デッキに出る準備をした。トンネルを抜ければ、浅葱だ。今日は母さんの料理をお腹いっぱい食べて、早く眠りたい。お風呂にもゆっくり浸かって、ピンに連絡をして、そうだ、明日は朝練に行かなくてもいいからギリギリまで寝よう。肩にのしかかる程よい疲労が、心地よかった。久しぶりの感覚だった。

 
 こうして光のセレクションは幕を閉じるわけだが、この時光が感じている違和感が、後々大きな『うねり』を生むことを光はまだ知る由もない。さらに言えば、この違和感の正体がいわゆる奏に対する恋心だと光が気付くのはもう少し先の話—。
しかし、この微妙な変化にいち早く勘付いている男が居た。そう、拓巳だ。拓巳はどうもここ最近の奏の様子がおかしいことに気付いていた。初めは、千絵に恋でもしているのではないか?と勘ぐっていたのだが、どうも違う。夏祭りの件で千絵は確かに奏に対して気があるようには見えるのだが、奏はそうではない。ならば、最近奏に迷いが見える原因は何か?拓巳の目から見て今の奏は、思い切りの良さや何でも自分で切り拓いていく様が影を潜めているように見えて仕方がなかった。言い方を悪くすれば『変』だ。全くもって奏らしくない。しかし、そんな奏の姿を光は『丸くなった』のような表現ではなく、『柔らかくなった』と表現するではないか。ここで拓巳は点と点が線になったような感覚に陥った。そうだ、拓巳は『普通』になってしまったのだ。普通の高校三年生になってしまった。それは加奈も同じようなニュアンスで拓巳に伝えていたことだった。光が奏に好意を寄せているのではないか?と考えることは今までに何度かあったが、光の性格的に当時の奏を好きになるポイントはあまりにも少なく、現実的でなかった。しかし、今はどうだ。『普通』になった奏は光が求めるものを満たすような気がしてならない。そこに先ほどの光の発言だ。確かに、奏は幼なじみでもあるが、それ以上に一人の人間として昔から愛憎とまではいかなくとも様々な感情が入り交じった、言葉ではなかなか言い表せないような関係性を築いてきた。拓巳はどこか奏の『尖った部分』に憧れていたのも事実だった。その奏が、異性の幼なじみである光にその違いがわかるほどに変わってきている。それもこともあろうか、尖りをなくして、普通の人間に成り下がろうとしているのだ。拓巳はこのことをすんなりと受け入れられずにいた。秋空のように三人の関係性がめまぐるしく変わろうとしていることに、気付いている者は居なかったが、誰しもが何かしらの予感や兆候を感じていることは確かだった。