曇天模様

五月 第二週

「唐澤君と仲良かったっけ?そして、そんなに注目されてたっけ?なんか、テレビでは拓巳とかキャプテンの平木君とかのほうが良く取り上げられてた気がするけど」
光には奏が言うことが、いまいちピンときていないようだった。
「見てりゃわかるよ、ああいうやつが背番号1を背負ってるチームは、強いんだよ」
奏は、自分のバイトがない日に近場で野球部の試合があるときには、必ずと言って良いほど試合を観に行っていた。それは野球に対して未練があるだとか、拓巳のことが気になるだとか、そんな理由では無かった。ただ単純に浅葱西の野球がおもしろかったのだ。
「ああいうひたむきなやつって、何とか勝たせてやりたくなるんだよ」
「ふーん」
奏は熱っぽく語っていたが、光には何故奏が唐澤のことをここまで推すかよくわからなかった。そして、それはウォーミングアップの終盤、試合前の投球練習を見ていても変わらないままだった。
「どちらかというと、あの背番号11の子の方が球も速くて、中学生の頃の奏みたいじゃない?」
唐澤と並んで投球練習をしている細身で長身のサウスポーを指さし、光は不思議そうにしている。
「あぁ、藤村のことか」
それっきり奏からの返事は無い。
「藤村君じゃダメだって言うの?」
「あいつはまだ2年だ。まだこのチームで投げる意味をわかってない」
奏の声は冷たく、重かった。光が指摘するとおり、藤村は学年が一つ下であるにも関わらず、球速や変化球のキレ、どれをとっても一枚も二枚も上手だった。おそらく、野球に詳しくない素人の目から見てもそうだろう。ただ、光の心に響くものがあるとすれば、背番号1は唐澤の背中で幸せそうに見えた。うまく表現は出来ないのだが、光はそう感じたのだった。

 浅葱西対釜石東の好カードは、白熱する投手戦となった。浅葱西の先発のマウンドには背番号11が立っていた。恐らく、センバツでも好投していた唐澤が出てくると踏んでいた釜石東は、この2年生サウスポーにかなり手を焼いているようだった。
「やっぱり藤村君すごいじゃん。全然打たれないよ?」
光はまだ、奏が唐澤を推すのを訝しんでいるようだった。
「藤村見に来たのかよ」
相変わらず、軽口をたたいている奏だったが、数刻前から光は奏の表情に焦りのようなものを感じていた。しかし、この焦りのようなものは、地元の応援しているチームがなかなか強豪校からリードを奪えないことに焦れったさを感じている他の観客とは、大きく異なる感覚だということが、光にはよくわかっていた。五回になり、浅葱西の攻撃中、唐澤が投球練習を始めた。光は思わず、自分のチームの攻撃中だというのに唐澤の所作に見とれてしまっていた。
「唐澤君って、本当に丁寧に一球一球を投げるんだね」
「あぁ。それも楽しそうにな」
奏は今日初めて光の意見に賛同した。その横顔は何処か誇らしげだった。
「もうすぐ出番なの?」
「さぁな。藤村に全然タイミング合ってないみたいだから、ギリギリまで引っ張るんじゃないか?」
奏から見ても今日の藤村の出来は、この二年生サウスポーが秘めるポテンシャルや、背負っている期待がかなり大きいものだとわかるものだった。拓巳から事前には聞いていたが、センバツ前に少し調子を崩していなかったら、藤村が先発のマウンドに立ち続け、唐澤は控えに甘んじているはずだった。
「それなのに、練習試合であそこまでしっかり準備するんだね」
「女バスの三年の控え組に爪の垢でも煎じて飲ませてやりてぇな」
「うるさいなぁ」
光は痛いところを突かれたように感じた。しかし、同時に、女子バスケ部員達のそれとは異なるものを唐澤から感じていた。唐澤は『諦め』のようなものを一切放っていないのだ。
「うらやましいなぁ」
光はぽつりと呟いた。
「何が?」
「私は、あそこまで自分を信じられないかな」
「ふーん。まぁ、人それぞれじゃない?」
奏はそれ以上踏み込んでは来なかった。しかし、表情にはまだ曇りが見える。

 試合も終盤にさしかかった七回裏。浅葱西は大きなチャンスを迎えていた。2アウト2・3塁。バッターボックスには三番キャプテンの平木。初球だった。振り抜いた打球は左中間で弾み、走者一掃のタイムリースリーベース。藤村に大きな二点がプレゼントされた。
「決まったかな」
言葉と裏腹に、奏の表情は曇ったままだ。
「どうしたの?」
さすがに気になった光が顔をのぞき込む。
「いや、大したことじゃないんだけど、拓巳がな」
「今日打ってないから?」
「そんなんじゃないよ。たぶん俺にしかわからない」
「そっか。嫌な予感なら当たらない方が良いね」
唐澤は、チームが勝利を収めるまで、つまり、藤村が甲子園ベスト8のチームに無四球完封勝利を収めるまでブルペンで黙々と投球練習をしていた。
「今日の拓巳、らしくなかったな」
「んー?そうかな」
光は試合中ずっとキャッチャー用のマスクをかぶっている拓巳の表情は見えるわけはないし、不思議そうに奏から真意を引き出そうとしていた。
「たぶん試合中ずっとイライラしてたと思う」
「それはなかなか点が取れなかったから?」
「そうじゃない。藤村がずっと首を振ってた」
「どういうこと?」
光は全く意味がわかっていないようだ。
「ピッチャーはキャッチャーとサインを交換してどの球種を投げるか決めるんだ」
「それに藤村君が首を振ってたって事は、相性が悪かったって事?」
「んー。そういとも言えるんだけど、微妙に違うかな。今日の藤村は勝負所で全部ストレートを投げてたんだ。それも全部首を振って」