曇天模様

五月 第一週

 

 ゴールデンウィークの予定といえばバイトぐらいしかない奏にとって、今年の連休が短いことは不幸中の幸いであった。
「いらっしゃいませ」
この他には、「ありがとうございました」や「年齢確認をお願いします」など流れ作業的な会話と、笑顔を携えた会釈等の基本動作、あとは多少のルーティーンワークで成り立っているコンビニのバイトは、入りたてこそ覚えるのに苦労したものの、今では奏にとって頭を空っぽにするのにうってつけの時間であった。奏にとってこの時間は、鬱陶しくまとわりついてくる学校の息抜きのようなものになっていたのだ。しかしさすがにこれが何日も続くと、堪える。だからといって学校に行きたいかと言われればそうでもない。
「学校いつからなんですか?」
年下だがフリーターで、バイトでは先輩にあたる坂下千絵に尋ねられ、奏はサラリーマンがサザエさんのオープニングを見ると憂鬱な気分になる理由がわかった気がした。
「明後日から。今年は連休短いから」
奏は坂下とプライベートの話をあまりしないようにしている。何故かと問われると答えられないのだが、何となく質問の内容と真意が別の所にある坂下との会話が苦手なのだ。
「ふーん。この仕事してると曜日の感覚わかんなくなるから、連休短いって初めて知ったわ」
坂下は奏と並んでレジのカウンターの中に立っていたが、棚の整理に戻っていった。もともと客が少ない時間帯ということもあったが、今日は暇だったため、商品の陳列をしながら坂下が続ける。
「やっぱ学校って楽しいの?」
いきなり投げかけられた質問に、奏は少し間を開けてから
「まぁまぁ、かな」
と曖昧な返事をした。
「ふーん。そうなんだ。時任さんってたぶんだけど喜怒哀楽、あんまないよね」
初対面の人間であれば、坂下に対してなんて失礼なやつだ、という印象を持つに違いないが、奏には慣れっこだった。確かに初めはムッとしたが、坂下にはオブラートに包むだとか、他人に気を遣うだとか、そんなことが出来ないのだ。
「そんな事無いっすよ。嬉しければ喜ぶし、ムカつけば怒りますよ」
奏のタイプでは無いが小柄で目立つ容姿をしていて、学校にいればモテる部類にいる坂下のこの性格さえ何とかなればな、と思ったことは一度や二度では無かった。
「そっか。でも学校行っとけば良かったかなーって最近たまに思うんだよね。お疲れ様、先上がるわ」
「お疲れ様でした」
バックヤードに戻る坂下に挨拶をして、左手に目をやると、時計はあと一時間でバイトが終わる事を告げていた。バイトに入りたての頃に坂下ともっと仲良くなっておけば、彼女が高校に通っていない理由を知っていたかもしれない。そして定型文の挨拶だけでなく、気が利いた一言でもかけてやれたかもしれない。そう思うと、バイトにも頭を空っぽにするだけでなく、もう少し別の役割があるのかもしれないな、と奏は初めての感情に戸惑った。

 翌日、ゴールデンウィークの最終日。奏にとってのバイト以外の唯一の予定の為に、奏は光の最寄り駅にいた。奏は約束の5分前には着いていたが、目の前には、制服姿の光の姿があった。
「なんで制服なんだよ」
「だって、センバツに行ってから野球部の注目度、ハンパじゃないんだよ?先生達もいるかもしれないし、ちょっと私服はね」
「野球場にドレスコードなんてあるかよ」
奏に相談した後、光は自身で部のことについて、自分の本心について、いろいろ考えを巡らせたが、どうすれば女子バスケ部にとって一番良い結果になるのか、上手く考えがまとまらなかった。そのことを打ち明けられた女子バスケ部の監督の橋本は、浅葱西校で現在一番上手くいっている部活動、つまり野球部の試合を観に行くことで、光にとってのヒントが見つかるかもしれないと、アドバイスをしたのだった。
「それにしても、光が野球見たいなんて珍しいな。ついに拓巳に惚れたか?」
駅から球場までは大きな銀杏並木をまっすぐ進んでいく、まるで参道のような道のりだった。
「なに、馬鹿みたいな事言ってるのよ。たまには気分転換で、良いでしょ」
「拓巳のやつ、かわいそうだなー。今まで数えるぐらいしか見に来たこと無いけど、光が試合見に来るといっつも負けるんだよな」
「それはあたしが負けないと、あんた達の試合、見に行けないからでしょ?いつもあと1回勝てば、みたいなところで負けちゃうんだもん、あんた達」
光が奏を橋本の提案に誘ったのは、他でも無い。試合中の解説を頼みたかったのだ。幼い頃から奏や拓巳と野球に触れ合ってきた光にとって、野球のルールを覚えるのは『だるまさんが転んだ』の遊び方を覚えるぐらい造作も無いことだったが、選手が何を感じ、何を考えプレーしているか、というプレーヤー目線の意見を聞くのに、奏はうってつけの存在だった。
「何が面倒くさいって、お前プレーしてないで見てるだけなのに、負けたら泣くじゃん」
「いつの話をしてんのよ」
軽口をたたき合う間に、球場の入口が見えてきた。野球部は連休中、遠征をして強豪校に出向き、練習試合を数多く行っていた。今日はその最終日。遠征中初めてのホームでの試合だった。会場は、夏の予選でも使用される浅葱市民球場。相手は、同じセンバツベスト8校である釜石東だった。
「試合前なのに出店とか出てて、すごいね」
今までの野球部では考えられない光景に光は思わず呆気にとられてしまった。
「まぁ、この町の期待の星だからな?」
奏の言葉には少し皮肉が混じっているのを、光は肌で感じた。
「あんた、昔からこの町嫌いだよねー。少しは生まれ故郷に愛着ってもんをもったらどう?」
「甲子園出たぐらいで浮かれやがって。にわかなんだよ、にわか」
「まぁ、あんたの言うこともわからなくもけどさ」
Tシャツにジーパン姿の奏は中学3年生まで、3人の学校のエースだった。中学校最後の試合以来、奏は野球を辞めてしまったが、175cmの均整の取れた体つきは今でもスポーツマンを思わせる。少し前まで一緒にプレーしていた人間が急に有名になっていくのは、寂しくもあり、誇らしくもあり、何とも言えない気分だった。

 二人は、市民球場のバックネット裏から客席に入り、浅葱西校のベンチがある三塁側に少し寄った、中段ぐらいの位置に並んで腰掛けた。
「ベンチの雰囲気とか覗けるから、一塁側の方がいいんじゃないか?」
奏は、光のことを思いやり、座席を決める前に提案したが、
「敵を応援してるみたいで嫌だ」
と跳ね除けられてしまった。
「なんで、アップから見なきゃなんねぇんだよ」
レフトの定位置あたりでは、浅葱西校の選手達がウォーミングアップを始めていた。統制の取れた機敏な動きは、見ている者にも緊張感を与えるほどであった。
「女バスに少しでも活かせるかなって」
アップの姿を見る光の目は真剣そのものだ。
「なんだ、そういうことかよ。あんま参考になんねぇと思うぞ」
奏はようやく、光の野球の試合を見に来る動機に納得がいったようだったが、残念そうにそう言った。
「なんで?全国区だからレベルが違うって事?」
「いや、そうじゃない。唐澤だよ。このチームは唐澤のチームだ」
奏の視線の先には拓巳とペアでストレッチを行っている背番号1が居た。
「ハッキリ言って、あいつなしじゃベスト8どころか、甲子園にも行ってない。最後はずっと一人で投げてきた疲れもあって、パスボールで負けたけど、大したやつだよ」