友待つ雪

一月 第三週

「いや・・・いつもなら拓巳もいるかな?」
「でしょ?この積み重ねなの。いつもドライブ行くテンポでバックステップしてスリーに行けばフリーで打てるでしょ?それと同じ事よ」
「いや、その例えはちょっとわかんないけど、何となく言いたいことはわかったよ」
ピンは少しむっとしていたが、少し満足したのかマシンガントークをおさめてくれた。人生で初めて恋バナとでもいうべきシチュエーションに身を置いたが、光はむず痒くて仕方が無かった。恐らく、ピンが見ているものと自分が見ているものは方向性は一緒なのだが、明らかに違う何かがあった。光は別に恋愛がしたいわけではないと気付いた。奏を手に入れたいだとか、自分だけのものにしただとか、そういうことではないのだ。今は単純に奏の受験が上手くいって、奏が東京に来てくれれば良い。多くは望まない。その中で少しでもそばに居ることが出来れば、今の光にとってそれ以上のことはなかった。そのことに気付かせてくれた、背中を押してくれた、ピンには感謝したかった。
 ほどなくして、二人は参道の入口にたどり着いた。冬の空の澄んだ青さとは似ても似つかないような強い原色系の青が目を惹く、明翔大の女子バスケ部のトレーニングウェアが一糸乱れず二列横隊で並んでいた。
「おはようございます!」
ピンと合わせてその隊列に向かって大声で挨拶をする。
「あれ?二人ともウチのセレクション生?」
その様子を見て、先頭にいた長身のセミロングの女の人が問いかけてくる。
「はい!三ツ村光といいます。よろしくお願いします!」
「寺本咲です。よろしくお願いします」
流石に、上級生にはいきなりピンとは名乗らないらしい。光は少しほっとした。
「あー。なるほど。女帝が言ってたガードって君らかぁ。私はキャプテンの下村美里です。よろしくね」
「今、女帝っていいました?」
ピンは怪訝そうな顔をしながら、キャプテンに尋ねた。
「あぁそっか。君らはまだ知らないのか。ウチの監督ね、練習厳しすぎるのとたまにマジで意味わかんないとこでぶち切れて罰走とかさせるから、影で女帝って言われてんの。ちなみに本人の前では絶対言っちゃダメだよ。気にしてるから」
先ほどまで規律が保たれていた隊列が一気にどっと沸く。
「それにしても、正月の初詣に呼ばれる新一年生も珍しいね。女帝から何か聞いてる?」
「いや、何も」
光はピンと顔を見合わせながら、おそるおそる答えた。
「そっか。実はこの初詣はウチらにとってすごく大事なものだから、普通はレギュラークラスしか参加しないんだよね。そこに呼ばれるって事は、女帝から結構気に入られてるって事だと思うよ?他に一年はあそこにいるU―18のゴールデンルーキーちゃんと、君らだけだからさ。ちなみにウチも新一年のとき初詣に呼ばれたんだ」
キャプテンは誇らしげにしている。光はそれを見て嬉しくなり、頬が緩みそうになったが、ピンから鋭い視線を送られていたため、なんとか寸前のところで踏みとどまった。
「監督はいついらっしゃるんですか?」
ピンの声は落ち着いていた。やはり肝が据わっている。
「もうそろそろ来ると思うけど。時間にはうるさいから」
「誰がうるさいって?」
隊列が一斉に振り返る。
『おはようございます!』
思わず参列客のほとんどが振り返るほどの声量の挨拶と、お辞儀をするまでの動作の機敏さに、光は圧倒されてしまった。それはピンも同じであった。
「おはよう。一年も来てるね?」
光とピン、もうひとりの新一年生に向かって顎をしゃくった初老の女性が、セレクションの時に声を掛けてくれた明翔大の監督だということはすぐにわかった。
「おはようございます!」
光達は慌てて挨拶をする。
「じゃあ、行こうか」
名門校の監督たる風格を携えて、監督が参道を歩き出すと、さきほどの隊列は今までと全く異なるオーラや威圧感を放ちながら、それに続いた。光達、新一年生の3人は、その隊列の最後尾に並び、それに続いていった。光は大きな緊張感に包まれると共に、明翔大でバスケをする、という本当の意味が、ピンが先ほど語気を強めながら話をしていた意味が、少しわかったような気がした。

 光は、明翔大名物の初詣が終わった後、急いで浅葱へと戻った。それは先輩達から大学バスケの厳しさや、過酷さを生々しく語られたからというより、残された自由に扱える時間が限られていることを知っていたからであった。確かに東京の街での初売りや明翔大の周りをピンが案内してくれるなど、東京に少しとどまれば魅力的なイベントが目白押しだったことは否めないが、浅葱にやり残してきたことがあると感じた光は、なるべく早い新幹線で浅葱へと向かった。光が東京から戻ってすぐに取った行動は、少なからず奏との関係に変化をもたらしたようだった。東京から戻ったその足で、光は初詣に奏を誘ったのだ。もちろん二人きりで。
「初詣に来たの、いつぶりだっけ?」
「あれじゃないか?中学の最後の年に拓巳と3人で来ただろ?全国に向けて願掛けっつって」
「じゃあちょうど3年ぶりかぁ。早いね」
「でも今日お前大学の初詣行ってきたんだろ?何で今日2回目の初詣に来てんだよ」
「実は緊張してちゃんと願い事できなくて・・・」
「アホか!まぁでも拓巳が居ないってのは正解かもな?」
「え?何で?加奈ちゃんと行くって言ってたから誘わなかっただけだよ?」
嘘だ。拓巳にはちゃんと口裏を合わせてある。
「だって前回揃いも揃って全国逃してるだろ?縁起悪いだろ?」
奏はいつもの意地悪そうな顔でニヤリと笑う。良かった。いつもの奏に戻りつつある。最近まとっていた悩みや迷いを抱えたオーラは何処かに消え失せ、奏の表情はどこか吹っ切れて、覚悟が決まったように見えた。
「確かにそうかもね。奏は今日何をお願いするの?」
「まぁ、合格祈願だろうな」
「え。意外。『神頼みなんてしない』とか言いそうなのに」
「藁にもすがりたいって事だよ。形振りなんて構ってられっか」
夕日に照らされた奏の横顔は今まで見たことがないようなものだった。希望と焦燥と僅かばかりの不安が入り交じったその表情は、悟りというには尊く、諦めと呼ぶには光って見えた。
「奏、変わったね。私は今の奏の方が好きだよ」
不意に心の声が漏れてしまったような感覚になったが、今はこれで良い。
「な、なんだよ急に改まって」
奏は露骨に恥ずかしそうな表情を見せたが、満更でもないようだった。しかし、光には奏の満更でもなさが、「好き」という言葉に掛かっているものではなく、「今の方が」という部分に起因しているということはわかっていた。先はまだまだ長そうだ。でも、今はそれで良い。賽銭箱の前で手を合わせる奏の横顔を見ながら、光はそう感じていた。
「おみくじ、引いてく?」
「凶とかだったらどうすんだよ?笑えないぞ?」
珍しく奏の目は本気だった。
「え?ビビってんの?」
ここぞとばかりに奏をおちょくってみる。
「煽るねー。しゃあない。引くか」
「3年前ってどうだったんだっけ?」
「全員大吉だった。でもこれって今の運勢なんだよな?あのときはもう大吉パワーがつきてたんじゃないか?予選は6月だったし」
「そうかも。じゃあ奏が今欲しいのは大吉だね」
「そんな贅沢は言わない。せめて学業だけは・・・」
「じゃあ、せーので見てみる?」
「うわー。何かそれ光のペースで物事進められてるみたいですごく嫌だ」
「何その言い方!わかったよ。じゃあ奏が『せーの』って言っていいから」
「よし。決めた。俺はこれだ」
「じゃあ、私は・・・」
掌には2つのおみくじの感触がある。光は直感で右のものを選ぼうと思った。だが、何故か引っかかる。バスケのときもそうなのだが、光は迷うと後の候補のものを選ぶ傾向があった。そして、大抵失敗するのだった。今回は直感を信じてみることにした。
「決まった」
「よし、じゃあ行くぞ。せーの」
中吉。目の前に太い明朝体が飛び込んでくる。光の目はすぐに無意識に恋愛の項目を追っていた。『待つのが吉。今はその時ではない。』神様に今の状況を諫められたような気がした。何をたかがおみくじに踊らされてるんだか。ピンが横に居たらきっとそう言うであろう。
「っよし!大吉!」
奏は勝ち誇るようにおみくじを見せてくる。何となく、それ以外の情報は、特に奏の恋愛の項目は極力目に入れたくなかった。
「おめでとう!学業は?」
「隙間時間を有効に使え。受験、良し。だってさ。あーよかったぁ、安心した」
奏は子どものようにはしゃいでいる。
「これで気を抜かないようにね?3年前の二の舞はだめだよ?」
「なんでそんな縁起でも無いこと、言うかなぁ。大吉で良かったね、で良いじゃねぇか」
「ははっ!ゴメンゴメン。拓巳も言ってたけど、最近の弱ってる奏を弄るの結構面白いんだよね」
「おまえらって本当酷いよな。たまにマジで人間性疑うぜ」
「でも、もう大丈夫そうじゃん」
「まぁな。拓巳と光には本当に助けられた。ありがとな」
「うわ。ありがとうだってよ。気持ち悪っ!」
「お前・・・本当に・・・」
「冗談冗談!部活やってるときには私も本当に奏に支えられたしね。お互い様だよ。こちらこそ、いつもありがとう。無事に慶王受かって、東京でも3人で居られるといいね」
「そうだな。頑張るよ」
「おう!応援してるぞ!」
右手の拳を奏に向けて突き出す。コツンと奏の左手の拳が当たる。今はちょうどこのぐらいで良いのだ。これぐらいが良いのだ。その後、神社からの帰り道、奏は今まで話してくれていなかった事をたくさん話してくれた。高橋先生が背中を押してくれたこと、押さえの学校として明翔大を共通試験利用で受験すること、苦手だった世界史が予備校の授業で得点できるようになってきたこと、バイトのこと、東京に行ったらやりたいこと、拓巳と一緒にトレーニングして拓巳にズタボロにされたこと、拓巳が加奈ちゃんから親ぐるみで同棲を提案されて流石に首を縦に振れなかったこと、それを聞いて奏は笑いが止まらなかったこと。気付けば辺りはすっかり暗くなり、光の最寄り駅に着いていた。いつもは光の方が一方的に話すことが多かったのだが、今日は逆だった。それが新鮮でもあり、今の奏との距離感をリアルに映し出しているような気がした。近くには居るのだが、傍に居ない。横に立っているのだが、同じ方向を向いていない。すれ違ってはいないのだが、一緒に歩いてはいない。これは拓巳にも言えるのだが、やはり3人それぞれが岐路に立っている。人生の中で重要な選択をしている。少し前の光なら、それに拒否反応を起こし、今が永遠に続くことを願っただろう。でも今はそうじゃない。これで良いのだ。大丈夫、何とかなる。いや、なるようにしかならない。でも断じてこれは諦めではない。
「あと、10日だね。どう?勝てそう?」
「わっかんねぇ。でも何だろ、今、いままでで一番面白いかもしんない」
「面白い?」
「そう。本当に色んな事が面白い。全然思い通りにいかねーの。でも、なんかそういうの悪くないなって思う」
「奏からそんなこと聞ける世界線があったんだね」
「バカにしてんだろ?」
「してないよ〜?だって奏は何でもそつなくこなす感じだったじゃん」
「嘘つけ、顔がにやけてんだよ。でもまぁ、上手くやろうとしてたんだろうな」
「そっか、気付けて良かったじゃん」
「お前のそういうところずるいよな」
「何が?」
「なんでもない。今日は誘ってくれてありがとな。良い気分転換になったわ」
「こちらこそ、忙しい中付き合ってくれてありがとう。帰ってちゃんと勉強するんだよ?」
「お前、入試直前の受験生の半日奪っといてどの口が言ってんだよ!」
「ゴメンゴメン。じゃあまた学校で」
「おう!気をつけろよ!」
光はベルを二回鳴らして自転車に跨がった。家に着くとどっと疲れが押し寄せてきた。光は部屋着に着替えると、今日起こったことや、頭の中を駆け巡った感情などを整理する余裕もなく、ベットに横たわった。気がつくと、夜が明けていた。目をこすると肩に僅かな痛みが走る。経験からこれは疲労から来る肩こりであったが、何故か今日はそれが心地よく感じた。この時、光は奏が9日後の共通試験で、模試で記録した奏の過去最高点に迫る結果を残し、そのことが自分の人生の中に大きな影響を与えようとは知る由もなかった。もちろん奏もそうだった。