瞳に希望、唇には唄
十二月 第三週
「まぁ、いつかはこうなるとは思ってたけどな」
自分の予想していなかったタイミングで、予想していなかった言葉が拓巳から飛び出したため、光は思わず驚いて拓巳の方を向いた。拓巳も進行方向から向き直ってこちらの方を向いている。二人は足を止めて向かい合う形になった。
「どういうこと?」
「うん?そのまんまだよ。そもそも、俺らが幼なじみってだけでずっと一緒にいると思ってたのか?」
「待って、全然わかんない。どういうこと?」
「藤村が普通だって言いたいんだよ。普通男二人、女一人の幼なじみ三人組が何も無しに十年以上ずっと一緒にいられると思うか?」
「でも・・・今まではそうしてきたじゃない?」
「それはお前が奏に対しての気持ちに自分で気が付いてなかったからだろ?」
「それは・・・」
「だいたい、俺が気付いてないとでも思ったか?」
「いや、だからこの前も奏と私に対してあんな煽るようなこと言ったんでしょ?」
「まずそこが違うっての」
拓巳は腕組みをしながら短く息を吐いた。
「あれを煽りだって捉えられるようになったのも、お前がここ最近になってやっとそのことを意識し始めたからだ。俺は、そうだな、中学の頃からずっとあんな感じだ」
光は自分の鈍感さに思わず眩暈がしそうになった。
「俺らが三人ずっと一緒にいたのも、元はといえば、俺と奏の仲が良いところから始まって、結局は奏に惹かれてお前が加わって三人だったんだよ」
「拓巳は嫌じゃなかったの?」
「嫌だったら、ずっと一緒にいるかよ。ただ、いつかはこうなる日が来るとは予想してたけどな。思ったより遅かったけど」
「じゃあもう今までみたいにはいられないって事なの?」
拓巳は眉間に皺を寄せて少し考える素振りを見せた。その姿は光から見れば必死に光を傷つけまいと頭の中の言葉を拾い集めているように見えた。
「私ははっきり言って欲しいかな・・・」
光は覚悟を決めた。
「うん。そうだな。『意識』って拭えないからな。少なくともお前から見える関係とか景色は必然的に今までとは違うものになってしまうだろうな。でも、ぶっちゃけ俺から見えてる関係も景色も今までとは何も変わんねぇから、そういう意味では一緒かもな」
拓巳は大丈夫だってという言葉も添えて豪快に笑っていた。光も拓巳の後半部分の発言は自分を気遣ってのものではなく、拓巳の本心であるとその口ぶりから感じ取っていた。
「そっか。でもどうすれば良いんだろう?」
「どうせさっき奏と話してたんだろ?」
「ホントに拓巳は何でもお見通しね」
「そりゃお前らを何年見てると思ってんだよ。ずっと夫婦漫才見せられてるようなもんだぞ。そして恐らく、奏も相当な鈍感野郎だから、お前の気持ちになんて気付いてるわけねぇよ。おおかた、よくわかんない雰囲気になって光が助けを求めに来た、そんなとこだろ?」
「うん。まさに。はー。拓巳には敵わないなホント」
「お前らの頭の中が金魚鉢すぎて、バッターの気持ち読む方が百倍難しいわ」
ふっと緊張の糸が緩むのがわかる。二人はどちらかが声をかけることもなく、自然と坂を下り始めていた。
「で?お前はどうしたいんだ?」
「うん?なんて言えば良いんだろう。今は奏の邪魔をしたくない」
「具体的には?」
「奏って今年に入ってから、結構変わったじゃない?」
「あぁ。それは認める。なんていうか、あいつらしさみたいなものは薄れてきてるよな」
「そう。たぶん、いろいろ迷ってるんだと思う。拓巳とか私は明確にこれっていう優先すべきものというか突き詰めたいものがあるじゃない?それって実はすごく幸せなことかもしれないなって思うようになったの」
拓巳は黙って頷いている。
「私もこの前、じゃあ大学を卒業したら?大怪我してバスケが出来なくなったら?って考えるとすごく怖くなったの」
「まぁ奏の場合、今はなんていうか『やるしかない』みたいな状態だもんな。しかも俺らとは違う『やるしかない』というか。俺らは野球とバスケをとにかくがむしゃらにやって、目指すべき場所にたどり着けるかどうかを突き詰めていかなきゃならんけど、奏の場合はその前の段階だよな。それを見つける為に受験勉強をしなきゃいけないというか、ある意味俺らよりタフな精神を求められてるよな」
「うん。だから私もバスケが終わっちゃったらそこに行かなきゃならないって考えたら、すごく怖くなったんだ」
「なんか、わかる気がするな」
「でも、なんていうか拓巳にはこういう話が出来るんだけど、なんで奏には出来ないんだろう。本当はこういう会話が必要なのはわかってるんだけど」
「まぁ俺も加奈に出会うまではわかんなかったけど、たぶんカッコ悪いとこ見せるのに人間って慣れてないんだよ。特に意識してる相手には。だから光のそれは正しいことだと思う。最近の奏って前までと違ってカッコ悪いとこ見せるようになってきてるだろ?あれ、俺にとっては嬉しかったりもするんだ。なんつーか、ようやくカッコつけてないあいつを見れてるっていうか」
「ちょっとわかる気がする」
そうだ。この感覚だ。これを求めているのだ。そしてこの感覚が三人の仲で続くことを願っていたし、願っているのだ。
「でも、光が進もうとしてるのは修羅の道だぞ?」
先ほどの思考にグサリと釘を刺すように、拓巳の言葉が鼓膜に刺さる。
「人ってどうしても独占欲みたいなもんが生まれるんだ。これが厄介でな。よく束縛がどうのって皆言うけど、俺はそれとは少し違う気がしてるんだ。だけどもし、誰かが拓巳の事かっさらっていったら、光は耐えられるのか?」
「まだその状況になったことがないから、いまいち想像できないな」
「その状況になっちまったらもう遅いんだよ」
拓巳の声はいつもより低く、ドスがきいていた。思わずビクッと反応してしまう自分がいた。
「だから、後悔しないようにこの前釘を刺しておいたんだ」
「じゃあ、どうすれば・・・」
「少しきつい言い方になるかもしれないけど、それは自分で考えろ。たぶん正解なんてないし、光がこうしたい、って考える事が正解だ。いや、それを正解にしなくちゃいけない」
ゆっくりと拓巳の言葉を噛み砕き、飲み込んでみる。自分の中にそれが流れ込んでくるのがわかる。まずはゆっくりと言葉を紡いでみることにした。
「奏ね、慶王大に行きたいんだって」
拓巳は黙って光の横を歩きながら、聞き耳を立てている。
「私、初めて奏の口から明確に弱音を聞いた気がするの。今のままじゃ合格率、中学校の頃の打率と同じくらいだって」
暗闇の中でもふっと拓巳の口から笑いがこぼれるのがわかる。
「なんて言えば正しいのかわかんないんだけど、私はそれを単純に応援したいと思ったの。頑張れって。本当は一緒に勉強したり、そばで支えてあげたりとかそういう方が健気でいいんだろうけどさ、私あんまり頭良くないしさ。だから奏が頑張ってるとき、私もそれと同じぐらい自分のことに一生懸命でありたいなって」
「光らしくて良いんじゃないか?それに・・・」
「それに?」
「さっき藤村が言ってたみたいに、意外と光は人気者なんだ。もしダメでも奏以外にも男は星の数ほどいるぞ?」
「もう!茶化さないでよ!」
先ほど拓巳に喰らったツッコミの5倍ぐらいの強さでバシッと拓巳の頭を叩いた。
「そうそう。これだよ。これ。こうでなくちゃ光じゃねぇ」
頭をさすりながら拓巳は笑っている。
「あ!それとようやく火がついた三ツ村選手に良いこと教えといてやるよ」
「なに?拓巳がその顔してるって事はどうせ良からぬ事でしょ?」
「んー。でもまぁこれは俺から言うことでもないか。うんやっぱり野暮だな」
「何よ?昔からあんた達って肝心なところではぐらかすよね。気になるじゃない」
「まぁ、じきにわかるよ。それより寒いからコンビニ寄ってこうぜ」
「あぁ!ホントに腹立つ!500円分ぐらい奢りなさいよ!」
「わかったよ。ほら、カゴとって」
光はコンビニの奥に進んでいく奏より二回りは大きい背中を見ると、先ほどの学校へ続く坂を思い出した。憎まれ口を叩き合いながら、笑い合いながら、一緒に歩んできたこの背中をあとどれぐらい眺めることが出来るのだろうか。東京に行ってもきっと頻度が減るぐらいだと思っていた自分の見立ては果たして正しいのだろうか?拓巳の背中はどんどん大きくなっていって、いつの間にかよく知った少年のそれから、見慣れない青年のそれに移り変わっていくのではないだろうか。漠然とした不安とでも形容すれば良いのか、それともこれを人はノスタルジーなどと形容するのだろうか、いや、後輩の言葉を借りるのであればエモいか。いずれにしても光はこの感覚を好ましいものだとは思わなかった。
「拓巳はさ、恋して変わったこと、ある?」
レジに並ぶ拓巳に背中越しに質問をぶつけてみる。
「いっぱいあるよ。自分がちっぽけな奴って事がよくわかった。カッコ悪い奴ってのも。でもそれ以上に、俺は加奈がいてくれて良かったと思う」
「答えになってないし。よくそんな恥ずかしい言葉がペラペラ出てくるわね」
たぶん、拓巳の言っていることは本当なのであろう。それが嬉しくもあり、むずがゆくもあり、恥ずかしくもあり、思わず舌をべっと出して顔をしかめてみた。
「加奈はこういうところが好きらしいぞ」
「聞いてないっつの」
左肩にツッコミを受けた拓巳はゆるゆると笑っていた。
奏にとって、進路指導室の扉を開くことは、ここ数ヶ月の答えを出すこととほぼ同義であった。ここ数週間、自分の周りで特にこれといった大きな出来事が起こったわけではなかったが、常に頭の中では自問自答、いやもはや禅問答のようなやりとりが行われていた。自分を見つめ、自分と対話し、答えが浮かんでは消し、振り出しに戻っては、また自分と向き合うことを続けた。現時点ではあるが、それを担任の高橋にぶつけるときが来た。ドアをノックする手は震えるまではないが、心なしか力が入っていた。
「失礼します」
「どうぞ」
扉の向こうから高橋の声が響く。ドアノブを握る手に力が入る。
「進路決定面談で来ました」
「おぉ。時任か」