サウダーデ

三月 第三週

「なんか、光からもそう言われると、完全に俺が色々引っかき回した奴みたいになるじゃん」

「まぁ、実際そうなんじゃないか?」

拓巳の表情は至って真剣だった。

「っていうか、人と関わるって、そういうことだろ。真田も千絵ちゃんもなんなら、俺も光もお前の人生引っかき回した1年だったと思うぞ。だからこそ、関わるって決めたら、しっかり向き合わなきゃいけないんじゃないのか?」

「なんか、私もそう思う。だからさっきは何か茶化した雰囲気になっちゃったけど、それはきっと千絵ちゃんの中で、ひとつの答えが出たって事で良いんじゃないかな?」

「まぁ、振られてるんだけどな」

よほどツボにはまったのか、拓巳はまだゲラゲラと笑っている。

「もういいじゃねぇか。って事で、俺は勉強する!とりあえず格好つけるためにはまず受からなきゃ話になんねぇからな」

奏から出た決意の言葉を頷きながら聞いていた拓巳は、ゆっくりとソファから立ち上がった。

「おう。邪魔したな。マジで頑張れよ」

「うん。応援してる。頑張って」

拓巳に続いて光も立ち上がる。

「ありがとう。とりあえず、週明けから普通に学校には通うから」

奏はベッドに腰掛けたまま二人を見送ろうとしていた。

「本当だよ。高橋にも嘘つかせてんじゃねぇよ」

「え?どういうことだよ?」

奏は、部屋から出ようとしていた拓巳を、半ば呼び止めるような形になった。拓巳は奏の方を向き直った。

「高橋曰く、お前は慶王だけの対策を家でするために学校に来てないらしいぞ」

「まぁ、半分合ってるだろ」

「は?マジで言ってんのか?」

「あぁ。実際高橋にも相談したしな」

「お前ら、いつの間にそんなに仲良くなってんだ?」

「色々あんだよ。俺にも、高橋にも」

「俺はてっきり、お前がうじうじ一人で考えてるのを見越してクラスの士気が下がんないように高橋が嘘ついてるかと思ってたぜ」

「私も。でも、しっかり向き合ってみれば良い先生でしょ?」

「うーん。良い先生、ねぇ。先生っていうよりは、親戚の年が離れたおっかねぇ兄ちゃんって感じか?」

「お年玉少し多くくれる、みたいな?」

拓巳が意地悪そうにニヤリと笑う。

「そうそう。そんな感じ」

「何かわかる気がするな。まぁ、じゃあその高橋に花持たせてやるためにも、尚更頑張んねぇとな。4組から慶王の合格者が出りゃそりゃエライ事だぞ」

「まぁ、確かにめちゃくちゃ格好良いよね。良い恩返しになるんじゃないかな?」

「よし!じゃあ早く帰ってくれ!勉強に集中できねぇ」

奏はベッドから立ち上がり、部屋の出口の方へと拓巳の背中をぐいぐいと押しながら進んでいった。確かに奏は立ち直った。立ち直ったという表現が正しいのかは別として、ここ数ヶ月間の奏とは別人のように、吹っ切れていた。奏がここまで気持ちを持って行くのに費やした労力や時間は半端じゃないという事は光にもよくわかった。そのときの辛さを想像することは出来ても、感じたことがない光にとって、今できることは奏の背中を押すことだけだった。今は、今だけは、千絵がどうだとか、浅葱がどうだとか、東京に行くだとか、全てを度外視しても、出来ることはそれだけだった。

「じゃあ、明日、学校でね!頑張って」

「おう。拓巳もありがとうな」

「やったれよ」

「おう。やれるとこまでやってみるよ」

 

奏が、慶王大学への合格の切符を手に入れたのは、ここから二週間後のことだった。

 

卒業式が終わり、光達に残された高校生最後の時間は各クラスの最後のホームルームのみとなった。4組の私立大学の進学実績は例年に比べ、非常に良く推移し、教師達の間では、この68回生達は最高の世代などともてはやされていた。そのせいか、高橋も終始機嫌良く最後のホームルームを進めていた。もし自分たちがこの一年何も乗り越えて来なかったなら、そのように安直に形容したかもしれない。光達が己自身とこれでもかというほど向き合ってきたのと同じくらい、高橋は4組の各生徒達と真っ直ぐぶつかってきた。その熱に動かされた生徒は少なくはなく、その結果がこの雰囲気を作っているということを恐らく4組の生徒達はわかっていた。しかしながら光は、他の大勢の生徒達のように高橋の最後の言葉に涙することもなく、心は晴れていなかった。光の頭の中は既に未来へと向いていて、自分がこのまま大学生になり、1週間後には東京で一人暮らしを始める、そんな姿を上手く描けていなかったのだ。バスケで勝負する、そう決めたということは拓巳と同じかそれ以上の意識でバスケに取り組まなくてはならない事を意味するのだが、拓巳と初めてお互いのトレーニングのことや普段考えている事などを腹を割って話してみて、光は打ちのめされた。ここまで自分を追い込み、野球に懸けている人間でも、最後の夏、全国に届かないのだ。それをより近くで感じていた奏にとってもそれは大きなショックとして影響を与えたことだろう。今、冷静に判断すると、その熱にあてられた奏が焦る気持ちもよくわかる。男女の違いはあるとしても、光は拓巳との差に少しショックを受けていた。

 

最後のチャイムが鳴り、高校生として過ごす時間は終わりを告げた。この教室を出た瞬間から、生徒達はそれぞれ自身の道を歩むことになる。拓巳や光のように部活動の推薦で大学に進む者、受験で私立大学に進む者、公立大学の結果を待ちそこから身の振り方を決める者、専門学校に通う者、受験浪人をする者、家業を継ぐ者、自分の夢を叶えるための道を進む者、そもそも自分がどんな人間なのかを見つめ直す時間に入る者、どの道が正解か、なんてことはわからない。なおさら、それは第三者が判断するものでも、そもそも出来るものでもないかもしれない。このことを拓巳は『自分の限界を知りたい』と表現した。奏は『自分の可能性を信じたい』と言った。結局判断基準はよくわからない。きっと皆そうだ。

「明日から、宮崎か?」

特に約束をしていたわけではないが、生徒達が別れの言葉を交わしたり、連絡先の交換をしたり、一連の『別れの儀式』のようなものを終え、次々と教室を後にする中、いつもの三人は最後まで教室に残り奏の机を囲むように集まっていた。

「あぁ。もう荷物は送っちまったから、明日の朝の飛行機で宮崎に向かうよ」

拓巳は、高校卒業と同時に大学の春季キャンプに参加する予定だった。大学でもプロ野球のように春季キャンプがあることを知ったときは驚いたが、通常1年生は参加しないという。そこに参加するということは、1年目からスタメンを勝ち取ろうとする拓巳の覚悟の表れでもあった。

「じゃあ、浅葱にいるのは今日が最後って事?」

拓巳とは上京をする者同士、今後も頻繁に会うことになるのだが、もうこの春休みに集まることが出来なくなるのかと思うと少し寂しさがあった。

「いや、キャンプが終わったら一回実家の整理とかで帰ってくるつもり。光はどうなんだ?」

「私は再来週の頭に引っ越しかな?それまでは浅葱にいると思う」

「そっか、じゃあ入れ違いか。また、東京でか?」

「そうなるかもね」

「そこの慶王ボーイは?」

拓巳がニヤリと笑う。

「お前わざと言ってんだろ?」

「慶王に浅葱キャンパスなんてねぇぞ?知ってるか?」

「あぁ。重々承知の上だよ」

「でも、まさか本当に受かっちゃうとはね、私結構やばいかと思ってたもん」

「まぁ、そこは腐っても時任奏だったって事だな。でも、お前本当に学費とか払うのか?」

「あぁ。入学金も在籍に必要な金も全部俺が稼ぐ。んで、行きたくなったら、行く」

「本当に頑固よね。せめて家ぐらいは出なくて良かったんじゃないの?」

奏は結局、合格した後ももやもやしたものが心の中にあったのだろう、入学はするものの、休学し、本当に行きたくなったタイミングで大学に通うことになった。それまで浅葱に残り、本当に何をやりたいのか、探したいのだそうだ。

「いや、なんか自分のわがままに両親巻き込むのは違うかなって」

「格好つけんなよ。それ言い出したら俺なんて超親不孝者だぞ。バットは木製だから折る度にうん万円って親のすねをかじることになるからな」

「私も同じ状況かも。結局バイトとかもあんまり出来なさそうだから、仕送りしてもらうことになっちゃったし」

「どっちが良い、悪いじゃないよ。その分お前らは期待されてるわけだし、しっかり頑張れってこった。俺はある種の勉強代だと思ってしっかりやるよ。だからお前らはその場所で頑張ればいいんだよ。いいじゃねぇか、何もかもが同じじゃなくても。要は自分ときちんと向き合っとけば、いずれまた会ったときにすぐに今の温度に戻れるさ。今はなんかその方が心地いいんだ」

奏は本当に変わった—。一言で表すならばまさに泰然自若。しかし、それは決して諦めの言葉ではなかった。

「でもこれで確実にお前は俺や光の一個下ってことになるな。これからは『さん』付けて呼べよ」

「光聞いたか?こいつの後輩にだけは生まれなくて良かったって心から思うわ」

「まぁ、でもそのハンデ背負ってでも本当にやりたい事を見つけたいんでしょ?」

「あぁ。話はそこからだな」

「でも具体的には、何するんだ?しかも浅葱で。お前は浅葱が嫌だから慶王ってか、東京に出て行きたいんだって思ってたけど」

「うーん。正直まだこれっていうのはないかな。でも旅に出てみようとは考えてる」

「旅?どこに行くの?」

光はあまりにも奏の口から聞いたことのないフレーズが飛び出したものだから、思わず吹き出しそうになったが、ギリギリのところで踏みとどまった。

「いや、入試終わって車校に通い始めただろ?親父が、どうせだったら車の免許と一緒にバイクの免許も取れって言ってくれてさ」

「あぁ、親父さんバイク好きだもんな」

「そうそう。それで一回日本縦断してみるのとか、ありかな?って」

「なんかYouTuberみたいだね。お金どうするの?」

「光、お前やっぱりちょっと馬鹿にしてんだろ?」

「いや、ちょっとびっくりしただけだよ」

「まずは金貯めないと駄目だからしばらくはバイト三昧だな」

「でも、お前それ大学行きながらでも出来るだろ?今からでも遅くねぇんだ。東京出たらいいだろ?」

「いや、多分東京に出たらいろいろ甘えると思うんだ。もちろん拓巳や光にも、そして環境にも、な」

「私や拓巳はわかるけど、環境って?」

「環境が変えてくれるんじゃないかって考えるだろ?たぶん。それじゃこの前までの俺と同じだ」

「なるほど」

「それに、浅葱も捨てたもんじゃないかもしれないしな」

「ひょっとしてまだ千絵ちゃんのこと引きずってんのか?ワンチャンまだ可能性あるとか、考えてる?」

「おい、拓巳。人が真面目に話してんのに茶化すなよ。そんなんじゃねぇって。ひとまず、嫌だ嫌だじゃなくてこの街と向き合ってみて、それでも嫌だったら出て行くまでだ。一回学校とかそういうの抜きにしてフラットに浅葱を見てみたいんだよ」

「へぇ。じゃあ浅葱に残るって可能性もあるの?」

「まぁ、限りなくゼロに近いだろうけどな」