友待つ雪

一月 第一週

友待つ雪

 受験生にとっての正念場である正月付近の過ごし方は実に様々だ。塾や予備校の正月特訓と呼ばれる特別講座に参加する者、願掛けに初詣に行く者、家でひたすらに過去問を解き続ける者。奏はその中では異例ともいえる行動をとっていた。
「お前、ホントにこんな事してて良いのかよ?」
拓巳は息を弾ませながら、後方を走る奏に声を掛ける。
「はぁ、はぁ、うっせぇ。頭空っぽにすんのはこれが一番なんだよ」
「ブランクあるのによく付いてくるよな」
「だからお前に引っ張ってもらってんだろ」
拓巳に比べ奏の息は大きく乱れている。
「でも練習にならねぇから少しペース上げてもいいか?」
「ふざけんな。死ぬ」
「ははっ!中学の頃のお前じゃ考えられないな。まだピッチャーやってる頃、お前に長距離で勝った事なかったぞ」
「うるせぇ。あと2キロ黙って引っ張れ」
「憎まれ口叩く余裕があるって事は、まだ行けるな」
西高へ続く坂に差し掛かり、拓巳は一段ギアを上げたように見えた。奏は大きく頭を振りながら必死に食らいつく。西高を過ぎてもまだ伸びるしだれ坂は通称心臓破りの坂と呼ばれており、浅葱の部活のロードワークの名物になっていたが、秋になると欅の美しい紅葉の名所としても有名だった。今はもう欅の葉は落ちてしまい、寒空と正月特有の人の少なさとが相まってどこか哀愁漂う雰囲気を醸し出していた。坂を登り切るあたりで拓巳は後ろを振り返ってきたが、その表情はまだまだ余裕に満ちていた。
「バケモノかよ」
奏は息も絶え絶えで坂を登り切る。
「あと、1.5キロぐらいか?引っ張るぞ?」
拓巳は地べたに這いつくばる奏を見下ろしここぞとばかりにニヤついている。
「アホか。無理だ。ちょっと休憩」
奏は地べたに座り込むと、シャワーを浴びた後のように汗が滴る頭を横に数回振った。拓巳はそれを満足そうに横目で見やりつつ、膝を抱きかかえ太もも裏のストレッチを入念に行っていた。
「何でここに来てランニングなんだ?つーかもはやランニングっていうより、減量メニューに近いか?」
拓巳は奏の様子に構うことなく、欅の木の下でストレッチをしながら直球を投げ込んでゆく。
「最近余計なことばっか考えすぎてるんだよ。向き合わなくちゃいけないのは自分自身なのに、周りの環境にばっか目が行くんだよ。走って頭空っぽにしねぇと勉強どころじゃない」
奏は俯いたまま靴紐をいじり回している。
「それって余計なことなのか?」
「余計なことだろ。俺の問題だ」
「お前って相変わらずすげー自己中だよな。やっぱピッチャー向きだわ」
「あ?煽ってんのか?わりぃけど今なら100%負けるぞ?」
「何で弱ってる奴が威張ってんだよ。逆だ逆、褒めてるんだよ」
「全然そんな感じしないけどな」
「そうか?でもまぁ強いて言うなら、そのお前を周りの環境ってのは、お前の事と同義じゃないのか?俺や光も余計なことか?」
「それは、流石にそうとは言い切れないけど・・・」
「もっと切り込もう。千絵ちゃんはどうなんだ?」
奏は未だに俯いたままで、拓巳からはその表情をうかがい知ることは出来ない。
「ん?どうなんだ?」
拓巳のあまりの攻勢に分が悪いと感じたのか、奏はぽつりぽつりと話し始めた。
「正直、よくわかんねぇ。気持ち悪いと思うかもしれないけど、出来ることならポケットに入れて東京に持って行けたらどんだけ楽かって思うよ。でも千絵も人間で、あいつは浅葱でやりたいことがあって、それに人生賭けてる。年下なのに、俺には出来ないことをやってるから素直にすごいと思うし、それは邪魔したくない」
「それ、千絵ちゃんには伝えたのか?」
「俺がまだ半端やってんだ。自分のことにケリつけるまではそんなこと言えるかよ」
「本当にお前はわかりやすいっていうか、単細胞だな」
拓巳は腕組みをし始めた。呆れたときに見せる癖だった。
「前に、キャッチャーが何考えてるかって話して喧嘩したの覚えてるか?」
「中二の時だったか?初めてお前にぶち切れられた日だ」
「あぁ。あのときと全く同じ事を言うぞ。奏、お前はもっと相手のことを考えろ。前回ならバッターのことだ。俺はバッターが何を待ってて、何を投げて欲しくないのかを考えろって言ったよな?お前はあのとき、バッターが待ってる球種で抑えることが大事だって言った。確かにそれで抑えられれば、相手の心を折れるからな。有利に立てる。ただ、今回俺が言いたいのは逆だ。お前が千絵ちゃんならどうして欲しい?それをちゃんと考えろ。独りよがりな考え方じゃなくてな」
気付けば二人の距離はぐっと近くなり、拓巳がへばっている奏を上から見下ろす格好になっていた。
「もちろんわかんねぇんなら、直接千絵ちゃんに聞いてみるのもひとつの手だ。少なくとも俺は加奈とそうやって今まで一緒に来たつもりだ。言わなきゃわかんねぇ。口に出さないと気持ちは伝わんねぇ。本当に大事にするってのは、そういうことなんじゃないのか?」
「そうなのかも、しれないな」
「それは、千絵ちゃん以外にも、だ。お前、明翔大受けるって光にも言ってなかったみたいだな。何でだ?」
「いや、それは…併願校だから教える必要ないかな?って」
「全く、奏、お前はいつまでガキのままでいるつもりだ。光の立場に立ってみたらどうだ?お前、何も感じないか?」
「いや、悪かったわ。でも拓巳、何でお前が切れてんだ?」
「いや、別に」
拓巳はそう呟くと大きく息を一つ吐き、ウィンドブレーカーの前のファスナーを開けた。
「あまりにもお前が自分のことでいっぱいいっぱいになり過ぎてて、周りが見えてないから忠告しといてやろうかなってな」
奏の息はかなり整ってきているが、俯いたままで、返事もない。
「もっと周りを頼れよ、奏。確かに入試とか人生のこととか、根本的にはお前の問題かもしれない。でも、自分のことのように考えてくれる人間が周りにはたくさんいるだろ?」
「でも、拓巳。お前だって俺に立正のこと相談してないだろ?」
「いいか、奏。良いこと教えてやる。人には向き不向きってもんがあるんだよ。俺はお前みたいに何でも器用にそつなくこなす事は出来ない。逆にだ、俺は譲れないものがあるときは、俺は何が何でも我を通す。頭の出来も面の良さもお前の方が上だ。だけど、今年散々、自分と向き合ってきてわかっただろ?何でも格好良くすんなり物事が片付く訳じゃないんだよ」
「でも、それじゃ自分の力で解決したことにはならないだろ?」
「馬鹿言え。最後、決めて実際にやるのはお前だ。それで十分じゃねぇか。自分の力だけじゃ現状を打破できないから、今そんな感じになってるんじゃねぇか。現に今も俺を頼ってる。奏、人には向き不向きってもんがあるんだよ」
奏は僅かに頷いたように見えた。
「でもなー。奏はなー」
いきなり拓巳が大声を出したため、奏は思わず顔を上げた。
「格好つけマンだからなー!」
拓巳の表情には加虐心が溢れていた。
「どこがだよ!」
見え透いたノリだとしても奏は思わず反応してしまう。
「ほら!ムキになった!」
拓巳の表情は先程よりもいきいきとしたものになっている。
「お前は、本当に昔から変わんねぇなぁ。そこがなくなればゴリラでももっとモテるぞ」
「そんだけ喋れるならラストまだ行けるな?」
拓巳はすでに靴紐を締め直している。
「全く、どっちが自己中だよ。勝手にぶっちぎった挙句、説教まで垂れて、スッキリしたから次はまた走る、か」
奏はズボンについた汚れを払いながらゆっくりと立ち上がった。
「おし!じゃあ、神社までな」
拓巳はウインドブレーカーのファスナーを締め直し、足首をぐるぐると回している。
「地味に距離延びてないか?」
奏での表情には疲労が滲む。
「あ?うるせぇ。こちとらとんだトレーニング時間のロスなんだよ。また千切られんなよ?」
そう言うと拓巳はぐっと力を込めスタートを切った。奏が続く。
「ありがとうな」
奏は拓巳の背中に向かって叫ぶ。
「うるせぇ、何年かかってんだっつーの」
拓巳は応えるようにさらにスピードを速めた。リズム良く跳ねる後ろ姿は、どこか嬉しそうだった。